人生にはどんな「意味」があるのか。生物学者で評論家の早稲田大学名誉教授・池田清彦さんは「多くの人が『人生には何らかの意味がある』と考える。自分が信じた人生の価値を絶対的だと思い込んだ人の最大の欠点は、自分の思い込みに反する人を人類の敵のごとく攻撃し、自分の信念に沿うような行動をしろと他人に対して強要することだ」という――。

※本稿は、池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。

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「意味という病」の始まり

人生に意味はないと言うと怒る人がいるのは承知している。私の人生には意味があると信じている人が多いからだろう。しかし、個々の人が自分の人生に意味があると思っているからといって、人生一般に意味があるとは限らない。この2つは別の事柄だからだ。

ところで意味とは何だろう。手元の広辞苑で引くと、

「1 ある表現に対応し、それによって指示される内容」
「2 物事が他との連関において持つ価値や重要さ」

と書いてある。1はイヌやネコといった指示対象を持つコトバの意味のことだ。

たとえばイヌというコトバは音声言語としては「i」と「nu」という音の組み合わせであり、文字言語としては「犬」「いぬ」「イヌ」という字で表される。音声言語や文字言語自体は単なる記号であるが、この記号が指示対象を持てば、それはイヌの意味となる。すなわち、イヌの意味とはワンワンと吠える四つ足の動物である。

コトバが指示対象を持つ場合、コトバの意味は割合にはっきりしている。ネコやライオンを指して「あれはイヌだ」という人はコミュニケーションが成り立たない人として、共同体の言語システムから排除されるからである。

幼児がコトバを覚えるときのことを考えてみよう。幼児に接しているお母さんなどの人は、イヌやネコを指して、「あれはワンワン」「あれはニャンニャン」と教えるだろう。

幼児はこれらの動物の姿を頭に刻んで、「イヌ」や「ネコ」の概念を頭の中に構築するはずだ。身のまわりのイヌやネコしか見たことがない幼児を動物園に連れて行くと、オオカミを見てもジャッカルを見ても「ワンワン」と言い、ライオンやトラを見て「大きなニャンニャン」と言うだろう。まわりの大人がそれを聞いて、「あれはオオカミと言うのよ」「あれはライオンと言うのよ」と教えれば、幼児は自分の頭の中の概念を修正して、「オオカミ」や「ライオン」のコトバの意味を理解する。しばらくすれば「ワンワン」のことを大人は「イヌ」と呼び、「ニャンニャン」のことを大人は「ネコ」と呼ぶことも理解するはずだ。