人類を含め自然界の生物の形にはすべて何らかの意味があると考える人は多い。だが、生物学者で評論家の早稲田大学名誉教授・池田清彦さんは「その考え自体が幻想にすぎない。例えば、耳毛・髪の毛・禿げ・陰毛など意味のないものも多い」という――。
※本稿は、池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。
耳毛・髪の毛・禿げ・陰毛…人間の意味のないもの
人間が生きていくうえで過度に意味を求めるからこそ、私たち人間は生きづらさを感じ、なかには自殺をしてしまう人も出てくる。つまり、意味を求める行為というのは、一種の病なのだというスタンスだ。
しかし、「自然界に存在する生物の構造には生きるための何らかの意味があるのではないか」と思っている人も多いと思う。「万物の造物主は、意味のない構造などつくらない、それゆえ生物の体にそなわっているいろいろな構造や形には、必ず意味があるはずだ」と無根拠に信じている人は驚くほど多い。
たとえば、人間の手と足の構造を見ると、「なるほど、人間という生き物の構造は機能的によくできている」と思うが、私たちの身体には、当然意味のなさそうな部分もたくさんある。
自然界の生物の形には、すべて何らかの意味があるという考え方それ自体が、私に言わせれば、幻想にすぎないのだ。
たとえば、男の人はある程度年をとると耳の入り口のところに毛がごちょごちょと生えてくる。この毛に何か意味があるのだろうか?
鼻毛が存在する意味はわかる。ほこりや病原体の侵入を防いだり、乾燥を防ぐ役割がある。でも、耳の入り口に生えている毛はどう考えても何の意味もない毛だ。
この毛は若いときには産毛だったのが、年を取ってから剛毛になる意味もわからない。耳の入り口の毛は気にしていない人が多いようだが、髪の毛は気になるようで、髪の毛には何の意味があるのかと聞くと、たいていの人は外部からの衝撃を吸収するためとか、太陽光からの紫外線を防ぐのに役に立つのだなどと答えるわけだが、あまり説得力があるとは思えない。