陰毛が存在する意味もよくわからない

髪の毛が生えていたって、頭にケガをして出血する人は大勢いる。むしろ、髪の毛があるせいでケガの処置がしづらくなるぐらいだ。それに人間はいつも暑い日射しの中を歩いているわけではないから、紫外線予防も説明としては物足りない。

それならば、なぜ「禿げ」ている人がいるのだろう? もし、髪の毛があるということに、適応的な意味があるのならば、つまり髪の毛があるということが繁殖確率を上げるのなら、禿げている人はとっくの昔に淘汰とうたされているはずなのだ。

ところが、禿げている人はいなくならない。すると今度は、禿げていることにも意味があるのではないかと考える人が出てくる。

たとえば、禿げていることと男性ホルモンとの間には関係があるから、禿げていることは「性的な魅力がある=セックスアピールがある」と主張する人がいる。禿げている人は女性に性的な魅力を感じさせるため、禿げている人はモテて子孫をたくさん残す。だから、その子どもたちにも禿げの遺伝子が伝わっていき、結果的に禿げる遺伝子が残る、という考え方だ。

これは、ダーウィンが唱えた「性選択」という考え方だ。しかし、この禿げに性的魅力があるからという説は、本当だろうか。禿げは嫌だという女性も世の中にはかなり多いはずなので眉唾まゆつばものだろう。そもそも、ダーウィンの性選択という考え方自体が、私に言わせれば意味のないものに、無理やりに意味を見いだすためのこじつけに見える。

進化論のイラスト
写真=iStock.com/Man_Half-tube
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それから、体毛と言えば陰毛が存在する意味もよくわからない。あそこになぜあのような縮れた毛が生えているのか、意味を説明できる人はいるだろうか。中には陰部が大事だから保護しているのだという人がいるが、それではなぜ欧米人は陰毛をったり、脱毛したりしている人が大勢いるのか。必要なものなら、そんなことはするべきではないでしょうに。そもそもあの程度の毛では陰部は守れないだろうし、毛じらみの温床になるほうが嫌だ。

いずれにしても、人間の身体の構造を子細に観察すれば、実は意味があまりあるとは思えないものがそこかしこに散見されるのだ。