私のたてた余命予想が外れた例
最後に、余命予測が難しい例として、私の受け持った患者さんのエピソードをご紹介します。もちろん、個人情報に配慮して細部は変えています。C型肝炎を原因とする肝硬変を背景に発生した肝細胞がんの70歳台の患者さんでした。毎月の通院は私の外来に、がんに対する治療は大学病院で行っていました。
最初にがんと診断されたときに肝切除術を受け、その後は肝臓内に局所再発をしては血管内治療を繰り返していたのですが、あるとき多発肺転移が見つかりました。他臓器転移があるとステージ4です。当時のデータで生存期間中央値は約6カ月間、1年生存率約30%ぐらいでした。肺転移には血管内治療が効きません。また、肝硬変を伴う肝細胞がんに対しては従来の抗がん剤は使いにくく、全身化学療法はあまり成績がよくありませんでした。がんの治療を行っている大学病院の主治医が余命について説明しているので私からはご説明しませんでしたが、早くて数カ月、そうでなくても2年くらいではないかと私は予測していました。ご本人もそのくらいの余命である、と覚悟されていました。
しかし、がん細胞の増殖に関わる分子を標的とした新しいタイプの内服抗がん剤(分子標的薬)が大学病院で開始され、これが著効したのです。画像上がんが消えることはありませんでしたが、腫瘍マーカーがみるみる下がりました。下痢などの副作用のため、一時中止を含めて用量を小まめに調整しながら、数年間は外来通院を続けたのです。私の予測は外れました。
個々の患者さんは数値ではない
現在の医学では、抗がん剤治療によって進行がんを治癒させることはできず、がんの進行を抑制することしかできません。それに同じ薬を長く使っていると、だんだん効きが悪くなってきます。けれども、延命している間に新薬が開発され、次の(セカンドライン)抗がん剤が承認され、その薬が劇的に効くということもあり得ないことではないのです。
上記の方の余命は、内服抗がん薬を始めてから、まだ何年もあるだろうと私は予測を改めました。しかし、その予測も外れたのです。肝臓がんとは関係のない急性の心疾患で亡くなったためです。心疾患が起こらなければ、今でもご存命だったかもしれません。このこともまた余命予測が難しい一因です。人間は必ずしも持病で亡くなるとは限らず、急な疾患や事故によって亡くなることもあります。これは今、持病がなく健康な人でも同じでしょう。
医師は病気を統計的な視点で捉えがちです。そうすることによって多くの患者さんから得られた有益な情報を使い、適切な医療を行うことができます。でも、目の前の個々の患者さんは個別の存在であって、統計の中の数値ではないことも忘れてはいけません。余命の目安をお伝えする際にも、私はそのことを忘れないようにしたいと思っています。