「伊集院静」というペンネームの由来

長友さんは「自慢で言うわけやない」。

「伊集院も金を持ってなかった。おごられるのも嫌だと言っていた。野地くんと同じようだった。だから、出世するで。そしたら、また飲みに行こ」

長友さんの重々しい話は続いた。

「あのね、伊集院はなぜ伊集院静なのか知ってる?」

もちろん、知りません。

「伊集院は立教を出た後、中堅の広告代理店に入って修業してた。そこに伊集院静(ペンネーム)という先輩のコピーライターがいてたのよ。その人がコピーを書くと、クライアントは全部、採用。ところが、その人が辞めた。会社は困る。

伊集院は『おい、お前、今日から伊集院静だ』と言われて、二代目伊集院静としてコピーを書いたんや」

なるほど。

作家になった頃、伊集院さんはペンネームのことで年上の編集者たちから、さんざん嫌味を言われたという。

「自分で自分に伊集院静なんて名前を付ける奴がいるか。詐欺師みたいなもんだ」
「やっぱりコピーライターだな。ウケればいいと思ってる」

こうした声ばかりだったのである。

わたし自身も同じような感想を持っていた。いくらなんでも自分に「伊集院静」はないと思った。

こうした声に対して伊集院さんはひとことも反論も弁解も説明もしなかった。自分が好きでつけた名前ではないとも言わなかった。理由はわからない。だが、言い訳は余計だと考えていたのだろう。作家の価値はペンネームではなく作品で決まるとわかっていたからだ。

いつも清潔で、汚れを許さない人だった

長友さんと酒を飲みに行っていると酒場で伊集院さんに会った。伊集院さんが一緒に飲んでいた人は私が知る限り出版界の人間ではなかったし、担当編集者でもなかった。

なぜか紹介してくれなかった。何をやっているのかわからないような人と飲んでいたのである。思えば、わたしも本を1冊か2冊出しただけだ。何で食っているかわからないような人間だったから、伊集院さんと一緒にいる人も同類だと感じていた。

会うと必ず声をかけてくれた。

「野地くん、最近、腕を上げたな。ますますよくなった」

本を出していなくてもそう言ってくれたのは伊集院さんだけだ。

ゴルフ場でも何度か一緒になった。

一度、ゴルフ場のロッカーで背中合わせになったことがある。

「キミ、シューズを脱ぎなさい」

シューズを脱ぐと、靴底についていたわずかなゴミをブラシで落としてくれた。枯れた芝が床に落ちたら、それをつまんでわたしの手のひらに載せた。

「ごみ箱に捨ててきなさい」

わかりました。そのまま捨てに行った。何か深い意味があったのか、それともそうではなかったのか。いまだによくわからないが、観察力、やさしさ、面倒見の良さは伝わってきた。なお、長友さんによれば伊集院さんは服装やシューズにうるさく、他人が履いているシューズが汚れていたら、「脱げ」と言ってきれいに掃除してこいと言うらしい。きっとあの時のわたしのシューズは汚れていたのだろう。