なぜ伊集院静はおじさんに愛されるのか
手紙をくれる人だった。わたしが手紙を出すと必ず返事をくれたし、「キミが書いたエッシャーの本を読んだ」と手紙をくれたこともある。伊集院さんは美術紀行の本『美の旅人』(小学館)を出しているくらい、美術が好きだ。その本は専門家ぶらない鑑賞者の目線に立った本だ。わたしはその本の大ファンだったから手紙を出して感想を述べた。
ある日、調子に乗ったわたしは伊集院さんにまるで指導するかのような手紙を書いて送った。今思えば不遜で生意気で恥ずかしい。すみませんでした。
「アメリカの野球小説みたいなのを書いたらいかがでしょうか。章立ては『1回表』、『3回裏』といったように進んでいって、最後の章の見出しは『9回裏』ではないんです……」
そんな手紙なのに長い返事をくれた。だが、中身は野球小説のことではなかった。伊集院さんの手紙にある文字は一字一字、彫刻刀で彫ったような丁寧なそれだった。最後に「野地くん。ますます腕を上げたな」と書いてあった。
伊集院さんは女性に人気のある人だった。けれど、伊集院ファンの中核はおじさんたちだ。特に得体のしれない仕事をしている人たちにとって、伊集院さんは守護天使だ。いつでも、何をやっても、酒を飲んで酔っ払っても褒めてくれる人だったからだ。
伊集院さんと知り合った大阪のおじさんは伊集院さんのことを崇拝し、「流儀先生」と呼んでいた。大阪のおじさんは「キミ、最近、腕を上げたな」と言ってほしくて、伊集院さんがいくスナックに毎日のように顔を出していた。思えば、「腕を上げたな」という褒め言葉は何にでも誰にでも使える。言葉の使い方がうまい。
高倉健のために書いた2本の作品
一度だけ正式にお願いしてインタビューをしたことがある。それは高倉健さんについて、である。感傷的な文章だけれど、伊集院さんは「腕を上げたな」と喜んでくれた。
以下は、「伊集院静独白『小説を書く力をもらった高倉健さんとの三〇年』」(『PRESIDENT』2012年9月17日号)に収録された伊集院さんの言葉である。
いまから三十数年前になりますか……。私がなぎさホテル(逗子市)にいた頃の話です。あるプロデューサーを通して健さんの映画の原作を書いてみようと思いました。
その後、健さんから直筆の手紙を頂きました。
その手紙の文字を見ながら、遅々として進まない原稿を進めた。二本の物語を書いた。
一本は『機関車先生』というタイトルで、こちらは後に柴田錬三郎賞を頂戴した。もう一本は未完のまま『丘の道』というタイトルの原稿が残っている。
二本ともご本人に渡すことはできなかった。それでも、この二本を書き上げようという気力が、今思えば、私に小説家への道を進ませたのかもしれない。何かの折につけ、私は健さんの映画のシナリオのことを考える。
まさしく、私にとってはあの人がいる限り、作品を書いていこうという気力が湧いてくるのです。創作という仕事に携わっている限り、高倉健のことはずっと考え続けるというか……。ですから、高倉健さんを頭に置いて書き進めた作品はいくつかあります。