「特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよ」
あるいは豊島区の要町付近では海軍の飛行機から「大日本帝国海軍航空隊」のビラが投下された。「断乎として戦え〔……〕座して亡国を待つか戦って名誉を守るか」
陸軍の飛行機も17日と18日、東京の新宿駅上空からビラを撒布した。
「詔書は渙発せられた〔出された〕然し戦争は終結したのではない/大日本陸軍」
作家の高見順は、敗戦時、神奈川県の鎌倉に住んでいた。敗戦の翌日、高見は親類から東京の世田谷でも飛行機がビラを撒き、そこには「特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよ」と記されていたと聞く。
翌17日には横須賀鎮守府〔海軍の根拠地〕や藤沢航空隊なども「あくまで降伏反対」で、不穏な空気が漂うなか、「親が降参しても子は降参しない」そのようなビラが撒かれている、あるいは東京の駅にも降伏反対のビラが貼ってあって、「はがした者は銃殺する」と書いてあった旨を知る。
「天皇陛下は死刑にされる」というビラも
ビラは次々と撒布される。
この日(8月17日)東京の三多摩地区で飛行機と自動車から撒かれたビラは、「日本に無条件降伏なし/国民よ奮起せよ」と訴えている。あるいは東京の品川駅前の京浜デパート前で撒布されたビラにはつぎのように記されていた。
「敵は天皇陛下を戦争の責任として死刑にすると放送している これで降参が出来るか 起て 起て〔立ち上がれ 立ち上がれ〕忠良なる〔忠実で善良な〕臣民降伏絶対反対、絶対反対」
上野駅でも下士官数名がつぎのように記されていたビラを撒く。
「同胞に檄す‼/降伏は絶対に真の平和に非ず/ 独逸の悲惨な現状を見よ〔……〕陸海軍蹶起部隊」
玉音放送後にもかかわらず、戦争は終わっていないかのようだった。医大生の山田誠也が同じ大学の学生十数人と激論を交わしている。そのなかのひとりが言った。
「軍は必ず起つ。必ず起つと航空隊はビラを撒きおるにあらずや〔撒いているのではないか〕。これに応じて吾らまた馳せ参ず。敵の上陸地点がすなわち戦場なり」