1590年、豊臣秀吉は北条家の本拠地・小田原城を攻め、3カ月あまりで落とした。難攻不落と謳われた小田原城はなぜあっけなく落ちたのか。歴史評論家の香原斗志さんは「秀吉は圧倒的な兵力と最先端の城郭を敵に見せつけることで、北条家の戦意を喪失させた」という――。
日本最大の城だった小田原城
戦国時代に築かれた日本最大の城はどこか。面積が広いという点では、小田原城がほかの城を圧していた。全周約9キロにわたって総構と呼ばれる城壁が築かれ、水平距離は東西2.9キロ、南北2.1キロ。城下町全体がこの城壁に囲まれ、面積は約3.48平方キロメートルにも達した。
「どうする家康」の第38回「さらば三河家臣団」(10月1日放送)では、豊臣秀吉(ムロツヨシ)がこの小田原城を攻める。むろん北条氏には、この戦国最強の城に籠城すれば勝てる、という目算があったのだが、結果は敗れて戦国大名としての北条氏は滅亡する。それにしても、これだけの規模の城がなぜ落城したのだろうか。
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