大学にはドラッカーを勉強しにきたんですよ

手塚一郎さん

【三浦】手塚さん、何年生まれでしたっけ。

【手塚】昭和22年生まれです。

【三浦】団塊の世代ですね。

【手塚】だから競争好きなんですよ(笑)。高校生のときに書道の先生が岡本太郎の話をして、ぼくは岡本太郎が大好きになって、そうしたら勉強なんて何なんだと思い始めて、何でもいいから、故郷を出れるならどこでもいいからっていって、ICUに来ちゃった。

【三浦】当時、ICUを進学先に選ぶ人って珍しかったんじゃないですか。

【手塚】ぼくも全然知らなかったもん。友だちに宇都宮大学の東洋美術か何かの教授の息子がいて、「こういう大学があるんだけど」と教えられて。

【三浦】ICUだけ受けたんですか。

【手塚】いや、早稲田とかも受けましたよ。早稲田に行ってりゃ、もうちょっと一般的になれたかも(笑)。もともと天の邪鬼でひねくれているぼくがICUに行ったから、それでこんなになっちゃった(笑)。あそこはもう外国でした。英語だらけだし、ダンスパーティーはあるし、東京の女の人はきれいに見えるし。

ICUのキャンパスがある(三鷹市の)大沢は、東京というには田舎だったけどね。でも、東京に出てくれば、たくさん可能性があって、何か、もっと自由になれるのかなと思っていたんです。

【三浦】学生のころの手塚さんは、どんな仕事に就きたかったんですか。

【手塚】具体的な仕事というものはなかったですね。ただ、商売人の息子として育てられたので、好きな文学や芸術じゃ、食べていくのも、人の役に立つこともあまりうまくいかないだろうなと思っていて、大学にはドラッカーを勉強しにきたんですよ。最初は社会学とか経済学をやっていたんですが、何か難しくてよくわからなくて、逃げ出して現代美術に行っちゃったんです(笑)。卒論は現代美術で書きました。

【三浦】そのころから吉祥寺在住ですか。

【手塚】始めは、大学の中にある寮に入りました。

【三浦】で、遊ぶのは吉祥寺?

【手塚】遊んでたかな。まあ、ときどき「ファンキー」でジャズを聴いたり。そういえば、「ファンキー」とか「サムタイム」とかやっていた野口伊織の奥さんは栃木の人なんだよね。あと、らかんスタジオの奥さんも栃木。で、その「ファンキー」でコルトレーンを最初に聴いたときに、ぼくは書道をやっていたから、すげえなと思いましたけど。

【三浦】書道とコルトレーン?

【手塚】コルトレーンみたいな書道だったんですよ(笑)。その少し前、高校生のときに田舎の古本屋で、これはちょっと大げさな話なんですけど、ポロックを観たんです。そうしたらぼくがやろうとしていた方向とほとんど重なっていて、「あっ、ぼくはもうどんなことをやっても駄目だ」と。

【三浦】文学や芸術の仕事はできないと思っていたけれど、好きだったんですね。

【手塚】好き。新しいものとか、変わったものとか。これは団塊の世代の特徴なんじゃないですかね。ただ、好きだったけど、それを仕事にするには、普段の付き合いから叩き上げていかないと議論も何もできないなと思って、演劇の記録撮影を請け負う会社を始めたわけです。

■ICU
国際基督教大学の略称。1949年、三鷹市に開校(53年より四年生大学に)。リベラル・アーツ(教養)教育を重視し、学部は創立当初から教養学部のみ。
■野口伊織
のぐち・いおり。吉祥寺の実業家。1942(昭和17)年、東京都生まれ。中等部からの慶應ボーイ。中学時代の初恋の人は、コム・デ・ギャルソンの川久保玲。1966(昭和41)年、ジャズ・バー「Funky」を吉祥寺に開店。以後も「be-bop」「赤毛とソバカス」(ロック喫茶)、「アウトバック」(ショットバー)、「蔵」(日本酒)、「レモンドロップ」(ケーキ)、「金の猿」(日本料理)など吉祥寺を中心に飲食店を多数展開。2001(平成13)年、脳腫瘍で死去。享年59。
■らかんスタジオ
吉祥寺の写真スタジオ。1921(大正10)年、ニューヨーク五番街で開業。1935(昭和10)年に吉祥寺にスタジオ開設。現在は吉祥寺(2店)、宇都宮など計8店を展開。
■コルトレーン
John Coltrane. 1960年代のジャズを代表するアメリカの黒人サックスプレイヤー。1926年生まれ。代表作「ジャイアント・ステップス」(1960)。67年、肝臓癌で死亡。
■ポロック
Jackson Pollock. アメリカの現代画家(抽象表現主義)。1912年、アメリカ・ワイオミング州生まれ。シュールレアリスム、ピカソ、インディアン美術などの影響を受ける。画布を床に敷き絵具を上からたらす「ドリッピング技法」で知られる。56年、交通事故で死亡。