ビジネス上のお礼は、「礼」という文字の持つ意味のほんの一部にすぎない。「礼」には礼儀作法のほかに、社会の秩序を円滑に保つという意味がある。先輩への礼儀を尽くさない人や朝夕の挨拶ができない人など誰も相手にしない。礼というものにそれだけ重みがあることを認識すべきだ。

お礼は誠心誠意を尽くして初めて相手に訴えかけることができる。お礼状も同様に、例文集の寄せ集めみたいなものでは何度書いてもゴミ箱行きだ。当たり前だが、時間を置かずに書くのが基本。忘れかけた頃に出してもダメだ。ご縁をつなげるには、一生懸命己を尽くし、感謝の念を表現すべく考え抜いて書くことが肝要だ。文章は下手よりうまいほうがいいに決まっているが、誠実さが伝われば拙い言葉でもいい。

例えば、食事に呼ばれた際のお礼状は、そのときの情景や雰囲気が思い浮かぶような会話や食事の内容を具体的に書き入れ、本当においしかった、お話が参考になった、という気持ちを相手に伝えられて初めてお礼状と呼べる。逆に、こちらからお誘いしたときこそ「わざわざお越しいただいて本当にありがとうございました」と書けば、相手にとって意外感があり印象にも残る。「こっちがご馳走したのだから向こうが書いて当然」という考え方自体を捨てることだ。私は、頂いて印象的だったお礼状は今も保管している。

人と人とがスムーズでいい関係を築くには、普段から己を尽くし、誠を尽くすことが必要だ。お礼状でだけ誠意を示しても、日頃からそういう姿勢を貫いていない限り、相手には通じない。

感謝には2通りある。目に見える何かをしていただいたことへの感謝を顕加、表に表れない、見えないものへの感謝を冥加と呼ぶ。普段、顕加だけでなく冥加の世界に至るまでありがたいという気持ちで生きている人は、「ありがとう」という言葉がスッと出る。

相手を敬い、拙い自分を恥ずかしく思う気持ちがあるからであり、だからこそ人は成長する。そうでない人との違いは子どもの頃の躾や習慣だろう。躾が身についているからこそ、心がこもったお礼が自然に言えるのだ。

「ありがとう」は、口癖のように言うぐらいが丁度いい。人間関係を円滑に保つ大事な言葉だ。