ちなみに、一時停止率はもっとも高い長野県は、72.4%。信号のない横断歩道で歩行者がいたらクルマの方が止まるのが当たり前。この差を知らずに長野県民が岡山に来たら、危険極まりない。

しかし、岡山の問題はこれだけではない。交通マナーが悪いことを自覚しながらも、他人事なのである。2016年に岡山県警が実施したアンケート調査では、ルール違反が目立つ行為として、72%の人がクルマが「合図(ウインカー)をしない、合図が遅い」と答えている。ところがその一方で76%が「毎回出している」と回答しているのである。

おそらくは普段はウインカーを出さない、直前に出しているにもかかわらず、涼しい顔で「毎回出している」と答えている人が多いのではあるまいか。

岡山駅前
筆者撮影

岡山県警の頭を悩ませてきた運転マナーの悪さ

岡山人の運転マナーの悪さは、いつから始まったのか。そもそも、日本の国産自動車は岡山県発祥である。1904年5月に、当時の岡山市にいた山羽虎夫という発明好きの技術者が、蒸気動力で動くクルマを製作したのがはじまりだ。

これは試作だけで終わったが、1914年には岡山でも輸入自動車を用いて乗合自動車(バス)事業が始まっている。さらに、1916年には初めてハイヤー(タクシー)が現れた。

使われたクルマは中古のフォード、米一升が50銭の時代に、1時間70円の料金で大いにはやった。が、その運転手は飲酒運転をして事故死したという記録が残っている。なるほど、岡山では黎明れいめい期から既にドライバーにルールやマナーを遵守する風潮が欠けていたのかもしれない。

ともあれ、過去30年あまりに限っても、岡山の交通マナーは「悪い」ことで一貫している。1998年に岡山県警がおこなった調査では、県民の37%が「交通マナーは悪い、非常に悪い」と回答している。この時期、岡山の交通事情はさらに悪かった。

1997年当時で岡山県では人口10万人あたりの死者数は11.6人もいたのである。そこで、岡山県警では毎日1000人の警察官(当時の県内の警察官の3分の1)を動員し、連続100時間にわたって街頭で検問と監視を行い事故を防止する施策をおこなっている。

しかし、これはまったく実を結ばず施策を実施していた100時間の間にも事故で4人が死亡する惨憺さんたんたる結果に終わっている。

路面電車も走る岡山の道路
筆者撮影

「★合図」の路面標示を独自に作ったが…

それでもなお、事故を減らすための対策は次々と打ち出された。

2005年には岡山国体を控え、交差点の手前約30メートルの地点に、ウインカーを出すポイントを示す路面表示【★合図】を県内約30カ所に設けた。横断歩道の停止線を従来の2メートルから5メートルまで後退させる【愛ライン】も岡山県独自の取り組みである。