ワイシャツ姿、食料はチョコレートとワインだけ

南米でも暖かな地域から来ているチームの学生たちは、多くが雪を見たことがなく、遭難したときの服装はワイシャツ程度。雪山は人間の生存可能性を超える条件で、食料も機内のチョコレート数枚と、ワインボトル数本しかありませんでした。

ラッパーのオーガニックダークチョコレートキャンディバー
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寒さのため、生きる気力を失った者は眠るように亡くなり、生存の意欲はあっても体調がそれを許さない者は、錯乱状態になり、やがて死んでいきました。

生存者で『アンデスの奇蹟』の著者の一人ナンド・パラードは、次のように書いています。

「私は自分の周りにさまざまに異なるあらゆる種類の勇気の形を見ていた。声高な勇気、さりげない勇気など、いろいろ見ていたけれど、生き残った誰もが、一瞬一瞬を、恐怖のうちに生きていたことを知っていたし、そういった恐怖を、自分なりの方法でなんとか凌いでいると知っていた」(同書より)

この遭難ではのちに世界中でニュースになる、仲間の遺体から肉を切り取って食べることまで行われました。一日生きるだけで、極限の精神力を要求する極寒の世界。雪と氷に閉ざされた高山には、動物や草などの食べ物は一切なかったからです。

リーダーの言葉が学生たちの支えだったが…

事故直後のリーダーシップは、ラグビーチームのキャプテンであるマルセロ・ペレスが取りました。ペレスは機内を住む場所に整備し、負傷者を暖かい場所に集め、みんなを懸命に励ましたのです。彼の英雄的な行動は学生たちをパニックから救います。

「夜が明ければ、きっと捜索隊が発見してくれる――悲惨な夜をやり過ごす間中、マルセロ・ペレスはそう言いつづけていた。それで、いまでは全員が確信めいたものを抱いているのだ─じきに国へ帰れる、最大の試練は過ぎた、と」(同書より)

しかし、ペレスの予想は裏切られます。遭難から11日目の朝、無線通信機からラジオ放送を聞いていた彼らは、チリ当局が捜索活動を終了するというニュースを聞きます。冬のアンデスは悪天候が続き、10日を過ぎて生存者の存在は絶望視されたのです。