摩擦の中から万人に認められる作品が生まれる

また、須藤ディレクターは、尾崎のラフスケッチにしかすぎない新曲のプロトタイプを、本人も交えてレコーディングが可能になるまで仕上げなければなりません。詞のテーマ決めとコード進行は、ほとんどが尾崎との共同作業でした。せっかちな性格の須藤ディレクターの言葉に傷ついて、時にサボタージュを起こす本人を、福田さんがとりなすこともあれば、かつてナベプロでマネージャーの経験を持つ私が、2人の間に入って仲裁することもありました。

かく言う福田さんもまた、コンサートのプランニングは素晴らしいものの、バック・ステージの人間の割には尖っているところがありました。福田さんが立ち上げたマネジメント会社・マザーエンタープライズの最初の資金、5000万円を投入したのは、貸付とはいえ、CBS・ソニーでした。それなのに、すっかり忘れたふうの強気な振る舞いには、閉口することもありました。今だから言えますが、尾崎本人だけを残して、新しいチームで出直そうと、何度考えたことかわかりません。

しかし、私は、自分の直感を信じました。今ここで短気を起こして、チームをばらばらにしてはいけない。とにかく、我慢しかない。万人に認められる作品は、レコード、ライブパフォーマンスも含めて、火花の出る摩擦の中からしか、いいものは生まれないと思っていたからです。

青いライトの暗い背景に手にギターを持ってナイトクラブに立っている男
写真=iStock.com/MaximFesenko
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捨て曲がいっさいない全13曲のセットリスト

たとえるなら名刀だってそうです。熱せられた鋼を何度もハンマーでたたき、水で冷やし、またそれを打ちつける、その工程からしか生まれないと言います。いい作品、パフォーマンスにはスタッフ同士が火花を散らし、お互い刃を切り結ぶぐらいの関係でないと生まれないということも、これまでの経験で知っていました。ここは、じっと“忍”の一字を決め込むことにしました。

尾崎の初ライブのセットリストは、「街の風景」、「はじまりさえ歌えない」、「Bow!」、「傷つけた人々へ」、「僕が僕であるために」、「I LOVE YOU」、「OH MY LITTLE GIRL」、「ハイスクールRock’n’Roll」、「十七歳の地図」、「愛の消えた街」、「15の夜」、アンコール①「シェリー」、アンコール②「ダンスホール」という、すべて尾崎の作詞・作曲による全13曲。

今となっては、ヒット曲、超メジャー曲のオンパレードです。いわゆる“捨て曲”が一つもないことに驚きます。この時点で、すでにアーティスト・尾崎豊は、完成していたことがわかります。