つまりは親としてのエゴ…

ジェンダーギャップ指数がいまだに百二十位台のこの国で、政治家が「女は息を吐くように嘘をつく」と公言するこの国で、いつまで経っても男性が下駄を履かされ続けるこの国で、女の子をしあわせに育てる自信が、私には、ない。

「で、みゆきちゃんは今のとこ、ぶっちゃけどっちが欲しいの?」

「うーん。どっちかを積極的に欲しいわけじゃないけど、どっちか選べって言われたら……消去法で男の子かなぁ(※1)。……なんていうか、できるなら、子どもには私と同じ苦労はして欲しくない」

そ・う・な・の・で・あ・る。

つまり! 自分でも気づきたくなかったが、これはつまり、親のスーパーミラクルウルトラエゴなのだ。

普段は一向に改善しない男尊&女卑社会にぷりぷりと腹を立てているくせ、いざ我が子のこととなると、これはもう、お願いだからほんの一ミリ、一ミリだけでも楽に生きられるほう、もっと言うと最初から下駄を履かせてもらえる側、この不条理に一生触れずにいられる側、社会が不平等であってもなぁんも困らんし、なんなら得する側であって欲しいという、浅ましく軽率でグロテスクな、親の欲望なのであった。

なんていうかなあ、本当にこれは嫌なことではあるけれど、生まれついた環境やらなんやらに並び残念ながら我が国では性別もいまだに人生に多大な影響を及ぼす「呪い」なのである。

そんなの関係ねえ、と勇ましく言えればどれだけ良いだろう。しかしこの状況は、どう見ても一朝一夕には変わりそうにないし、私だけがイキんだところで、いったい何の意味があるんだろう? と、これまで「変わらずに来た」時間の堆積に、まるで砂地にひしゃくで水をかけ続けるような徒労感を覚えるのだった。

※1 夫:私はどちらでもよかったのですが、それは「女性の苦労を知らない男」だからかもしれません。男は男で苦労があるのですが、それはまた別の話ですね。

「親だけ禁煙しても無意味」

「ああ、ジェンダー教育? だめだめ」と男子高校生の母であるペコさんは言った。

「うちもさぁ、息子にはできるだけ性別に振り回されて欲しくなかったから、小さい頃から口すっぱくして、男だからとか、女だからとか、もう関係ないんだよ、あなたも好きに生きていいんだよって言いながら育てたのに、中学で野球部に入った途端に染まっちゃってさ。男らしくないからピンクのタオルは使いたくないとか、ママチャリには乗りたくないとか言い出してさ、やんなっちゃう」

ペコさんはため息をついた。

「結局、周りの環境から受動喫煙みたいに吸い込むのよ。親だけ禁煙しても無意味」

……そんなこんなで、子どもの性別というのは考えただけでどうにも気持ちがしくしくする、けれども早く知りたい複雑なトピックであった。エコー検査のたびに「先生! どうか! ヒントだけでも! ダメならちらっとでも赤ちゃんの股間を映してもらえませんか? 自分で判断するんで」と懇願し、先生からは「まだ見えませんし、言えません」と冷たくあしらわれつつ、ついに妊娠20週を迎えようとしているのだった。