作家の小野美由紀さんは、妊娠20週目を前に保活を始めた。区役所で知らされたのは、認可保育園、認可外保育園ともに空きがないという絶望的な状況。小野さんは「にわかに子の性別を知るのが怖くなってきた。この社会に女児を産み落とすことが、怖くなった」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、小野美由紀『わっしょい!妊婦』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。 

ボーイとガールのジレンマ妊娠中の腹の質問
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政治家の公約とホストのささやき

なんなんだ、これは。

これだけ働く意欲のある女がいて、運よく稼ぎ口にありつけているにもかかわらず、預け先一つ見つからないなんて、いったいどうなっちまってんだい。

私は江戸っ子口調で啖呵を切りそうになった。保育園が見つからない場合、仕事を失うのは高確率で女である。「男女共同参画社会を」とか「女性が輝く社会に」とか、政治家の言うことはホストの言う「愛してる」より軽いんじゃないか。

私は嘆息した。

そして、にわかに子の性別を知るのが怖くなってきた。

いや、性別を知るのが怖いのではない。お腹の子が女子だと知ることが――つまり、この社会に女児を産み落とすことが、怖くなったのである。

生きてるだけで女にとってハードモードなこの国で、女児を産みたくない。

いつだって女が割を食う

「女であるってだけで、期待されるものが大きすぎるんよ」と熊本出身のしぃちゃんは言った。

「うちの実家のあたりなんかさ、田舎やけん、いまだに女は男を支えて子を産んで、育てて、そのうえ、若くてきれいで、男に楯突かないっていうのが価値だと思われとるもんね」

わかる、と私。

「なんか女ってさ、ルービックキューブ全面揃えなきゃしあわせじゃない、って言われてるようなフシあるよね。つまりさ、良い妻、良い母で、かつ仕事もできて、それでいていつまでも若くて美しくて、人生が充実していて、みたいなさ。そういう完璧な存在じゃなきゃ、どこかしらダメ出し食らうようなさぁ、減点方式で見られるみたいなさ、そういうところ、いまだにあるよな」

「でも、そんなん無理じゃない? 社会保障なんて、なぁんにもなってへんしさ。給与なんて数十年間ずっと上がってへんしさ。日本全体が貧しくなってる中でさ、子ども育てるなんて、もはや罰ゲームじゃん? それなのに社会全体の建前としてはさ、女はいまだに子ども産んで当たり前。親の介護もして、夫の世話もして、そんでもって綺麗にしてないと『女、捨ててる』とか言われんの。ほんと、何かしらおかしいよな」

産んでおっぱいが垂れるのも女、腹がビロビロになるのも女。医学部入試で減点されるのも女、性犯罪にあった時に「そんな格好してたから」と加害者よりも被害者の落ち度にされるのも女、出産したらマミートラックに乗せせられてキャリアを失うのも女、就職の時に差別されるのも女。女、女、ぜえんぶ、女。