※本稿は、本郷和人『徳川家康という人』(河出新書)の一部を再編集したものです。
2度と博打的な戦をしなかった織田信長
基本的に戦いは、兵力が多いほうが勝つ。この原則を踏まえた上で、優秀な兵器をそろえて、そしてしっかりとご飯を食べさせる。そうして戦っていくわけです。
だから戦国大名たちも富国強兵を進めて領民を増やし、商業を振興した。そうして兵を増やし、金を儲けて優秀な武器を購入する。またしっかりと食糧を整えて戦いにのぞむ。そうしたことができる人が優秀な戦国大名であって、三国志の諸葛孔明(181―234)のような、奇策を繰り出して勝つ人ではないのです。
その原則がもっとも明らかに発揮されるのは、やはり織田信長ですね。信長は桶狭間で一か八かの勝負に出て勝ったといわれます。しかし彼の優れた武将であるところは、2度とそうした賭博的な戦術には出ていない。
不利な状況でこそ大将の器が試される
戦国時代では、こちらが有利なときばかり敵が攻めてくるわけではない。ときとしてこちらの兵力が少なくとも一か八かで戦わなきゃいけない状況があるわけです。むしろこちらの不利を狙って敵も攻めてくるわけですから、「これは俺、勝てるのかな?」と思っていても戦わないといけない状況はある。
たとえば現代のプロ野球で、コロナの感染者が出て「レギュラーメンバーが5人しかいない」という、ふつうだったら負けるような不利な状況でも、試合をしなければならないときはあるわけです。
そうしたとき、大将としては、内心で「俺はこの戦いで生き残ることができるのかな。難しいな」と思っていても、それをポロっと兵たちに漏らしてはいけないのでしょうね。
たとえ顔が引きつっていても「絶対勝つぞ!」と兵を鼓舞しなければならない。
それで戦術面で頑張りを見せて不利をひっくり返し、小が大に勝ってしまったという戦いも歴史の中にはたしかにあります。