話の展開にかなり無理がある

第28話「本能寺の変」では、家康は安土をあとにして訪れた堺(大阪府堺市)で、信長の妹の市(北川景子)に遭遇。市は家康に次のように語りかけ、自分のほかだれも信じない信長像を、さらに強調した。

「兄を恨んでおいででしょう。私は恨んでおります。兄ほど恨みを買っている者は、この世におりますまい。でも、あなた様は安泰です。兄は決してあなた様には手を出しませぬ。あなた様は兄のたった一人の友ですもの。兄はずっとそう思っております。みなから恐れられ、だれからも愛されず、心を許すたった一人の友には憎まれている。あれほど哀れな人はおりませぬ。

いずれだれかに討たれるなら、あなた様に討たれたい。兄はそう思っているのでは。兄はあなた様がうらやましいのでしょう。弱くて、やさしくて、みなから好かれて、兄が遠い昔に捨てさせられたものをずっと持ち続けておられるから」

こうして市の話に心を揺さぶられ、家康は信長を討つのを断念した。

まず、この展開にはかなりの無理がある。どう無理があるのかを理解するために、ここで「プレジデントオンライン」の過去の記事で指摘したことを、簡単におさらいしてきたい。

なぜ光秀は信長を討ったのか

「どうする家康」では、家康は信長を恨んでおり、その理由は、有村架純が演じた正室の築山殿(ドラマでは瀬名)と嫡男の松平信康(細田佳央太)を、信長のせいで死に追いやられたからだとされた。

しかし、歴史上の築山殿は宿敵の武田氏と内通し、そこに信康を巻きこんだため、家康は自分の判断で妻子を死に追いやった。現在、それが研究者たちの共通認識である。

築山殿の肖像
築山殿の肖像(図版=西来院蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

脚本家は最初から、家康と築山殿を仲のいい夫婦として描き、その流れを変えられないので妻子の死を信長のせいにし、被害者としての家康を描く。そのために史実が曲げられてしまったが、元来、家康には信長を討とうと考える動機がない。

また、家康が信長を討とうと考えたのは、妻子を殺されたという私怨によるという描き方だが、明智光秀が本能寺で信長を討ったのも、やはり私怨が原因だとされた。

家康の饗応役を務めた際、家康が鯉の臭いを気にしたために信長の逆鱗げきりんに触れたのを恨んでの謀反で、ドラマ内の光秀の言葉を借りれば、「上様はしくじりを決してお許しにならないお方」で、饗応役に失敗し、「私はもう終わった」からだった。

しかし、史実の光秀には、自分が取次役を務める土佐(高知県)の長宗我部元親に対し、信長がいったんは領土の保全を約束しておきながら、それを反故にして元親をも対象にした四国攻めを決めたため、取次役として立場が失われた、という動機があった。