「結婚は愛」派の男女は年収別で大きな差が
以前の記事(〈結婚と出産は「高所得層の特権」になった…日本の少子化を深刻化させる「世帯年収600万円の壁」の分厚さ〉参照)でも書いたように、現代において児童のいる世帯というのは、ある程度の世帯年収以上だけが増えていて、かつて子育て世帯のボリューム層だった中間層世帯は大きく減少しています。つまるところ「結婚も出産もある程度の金の余裕のある者」だけしかできなくなりつつあるということでもあります。
冒頭の既婚男女の調査結果は全体の合計ですが、それぞれの年収によってもその答えは変わってくるでしょう。図表1・2に、世帯年収別に「愛か、金か」の割合をもとめたものを掲出します。
既婚男女で明らかに違うのは、「金」と答えている男女は年収別にみてもそれほど大きな差はない(1500万円以上の世帯年収の男性だけ突出して「金」割合が高いですが)のに対して、「愛」と答えている既婚男女では年収別に大きな差があります。
既婚男性は年収が高くなればなるほど「愛」という意識が低下し、逆に既婚女性は年収が高ければ高いほど「愛」と答えており、特に1500万円以上の世帯年収の女性の割合が最高値の47%にもなります。
まさに「貧すれば愛も鈍する」
これを「お金のことに執着するような女性より、愛で結婚した女性のほうが結果的に高年収を得られているのだ」と解釈することもできますが、違う見方もできます。
高い世帯年収という安定した状態にあるからこそ心にも余裕ができ、心の余裕が夫や家族に対する思いやりとして表出している場合もあります。つまり、「衣食足りて礼節を知る」と同じで、「経済環境が充足しているからこそ愛という余裕がある」のではないかとも思うわけです。
実際、世帯年収400万円未満の場合、既婚女性の「愛」という割合は男性より低い。まさに「貧すれば愛も鈍する」のです。「お金がなくても愛があればなんとかなるよね」を信じたいのは男性のほうであって、「愛は金の土台があってこそだ」というのが既婚女性の本音なのでしょう。
既婚男性が、世帯年収が増えれば増えるほど「愛」から「金」の割合が高まっていくのも、こう解釈することができます。
お金を稼ぐようになれば妻は機嫌がよくなるし、家族のためにと少ない小遣いに文句も言わずに頑張るのだが、どこまで稼いでも住居費のことや子どもの教育費など必要なコストはあがるばかりという現実に直面するわけです。
そうすると、いつのまにか「家族への愛とはお金の額でしか評価されない」という意識にもなり、「結局結婚とは金なのだな」と達観するようになってしまうのかもしれません。それが1500万円以上の世帯年収の既婚男性がもっとも「金」割合が高くなっていることの表れでしょう。