当時のラブホテルに連れ込まれ…

第1回、つけまげに地味な和服姿で上野公園に現れた好子は、西郷隆盛の銅像の下で獲物を待ち受ける。関西から家出して青山の親戚を頼って上京してきたおぼこい娘の設定である。

すると早速四十絡みの男が現れ、青山行きの電車の駅まで送るといいながら、なぜか公園内の森の方に連れて行く。そして今夜は遅いから一晩泊まって翌朝から青山に行けばいい、ひとりで宿に泊まると怪しまれて通報されるから自分と泊まろう、などといいながら帯に手をかけて寄り添ってくる。挙句に「それともいッそ、私のこのトンビ(*4)にくるまって、こういう工合にして、(と彼れ氏は私を、トンビの袖で包んで……)公園の中で、一夜を過ごそうじゃありませんか」などととんでもないことを言う。

夜のイルミネーション
写真=iStock.com/Yury Karamanenko
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好子は慌てて宿に泊まると嘘をつき、駅に向かったところ客引きが現れ、ふたりは案内されるままに上野の連れ込み宿(*5)に入った。明るいところで見た男の額には斜めに走った刀傷があり気味が悪い。男が女中に床を言いつけたためこのままでは逃げられないと感じた好子は風呂に入りたいと訴え、その隙に宿から出ようとする。

が、扉には鍵がかかっていた。帳場の主人に開けるよう言うと「さァねえ。お連れさんにおたずねしてみなければ」などと言を左右にする。たまりかねた好子、「女だとも(ママ)って馬鹿にしなさんな! これでも私はね……」と名刺を出して企画を説明したところ「あ、そ、いや、これはどうも、へい。……ではどうぞ、商売の迷惑にならぬように、へい、一つお手軟てやわらかに……」ということで辛くも難を逃れた。

なお、記事には宿屋の玄関の写真が添えられているが、これがこの曖昧宿の「商売の迷惑」になったかどうかは定かではない。

(*4)トンビ ケープ付きの男性用の外套。
(*5)連れ込み宿 情事を目的とした簡易宿。

ダンスホールで口説かれるのを待っていると…

好子は「『S・O・S』に応じて私を救ってくれたものは、私自身の名刺にほかならない。これが一般普通の場合だったらどうなるか、考えてもぞツとする」と締めくくっているが、この任務自体にぞっとする筆者である。

好子は後述の「点と丸」で〈私の後から見えつ隠れつつき添うカメラマン〉がいたというが、この記者は写真を撮る以外のことはしないのだろうか。とても20歳そこそこの婦人記者が携わる任務ではない。

第4回の舞台はところ変わって銀座のダンスホール(*6)である。3日間で速習したダンスを武器に繰り出した好子、ホールで見物していると5、6人連れの学生が現れて次々にダンスを申し込んできた。いかにも小金を持った遊び慣れた連中で、しばらくするとホールを出ようと誘われる。

連れてこられたのは近くのカフェー。意外にも酒に強い好子は酔っぱらって女給に絡む学生たちを冷静に観察している。すると、背広姿の学生がしきりに横浜に行こうと口説いてくる。深夜0時から行くことにためらって答えないでいると、みんなで喫茶店に行ってそこから帰るふりをして新橋駅で落ち合って横浜に行こうと執拗しつように訴えてくる。

会計している間に逃げようと路上でタクシーをさがしているうちに追いつかれたが、いきなりキスをされそうになった好子、慌てて突き飛ばしてタクシーに飛び乗って今回もギリギリ助かった。

(*6)ダンスホール 昭和初期、ジャズ・社交ダンスのブームとともに数を増やした。