気取った弁護士夫人に意趣返し
しかし京子も負けていない。
奥様のご忠告に〈此の皰さま(*16)見掛寄らぬ御親切……お年の割に開けたお方と感心した〉と皮肉めく。そして〈奥様悠々と御覧遊ばして後八銭の御園白粉一つ――図らずも御意に召したるはアゝ何等の光栄ぞや〉と意趣返し。それもむべなるかな、売り物のなかには四〇銭の輸入品の白粉もちゃんとあるのである。
それにしても、気取った弁護士夫人の内実は、整頓もままならないほど雇い人の監督が不行届きで、行商人を腐したところで国産の安価な白粉しか買えないということが白日の下に露呈したわけで、新聞発売後には奥様さぞや地団駄を踏んだことだろう。しかし見方を変えれば、自由になるお金の少ない若奥様がそれでも弁護士夫人たろうと気負っている姿がなんだかかわいらしくもあるではないか。
花園町の遊郭「すゞ甲子」を訪れた第8回(10月25日付)は印象深い。花魁や長唄の師匠などに囲まれた京子、
「どうも、ちっとも訳が解らんなも、そんな重い物を背負わんでも芸妓か娼妓にでもなったら楽だらずになも」
と不思議がられたというのだ。このシーンはよほど記憶に残ったのか、京子の自伝『一葉草紙』の口絵にもなっている(但し本文では第18回の金波楼での出来事と記憶違いをしている)。
(*16)皰さま 若者、ひよっこ、くらいの意味。
芸娼妓になる理由の4割は家計のため
当時の遊郭の女たちの実態を知るために格好の資料がある。伊藤秀吉『紅燈下の彼女の生活』(実業之日本社、1931年)である。おもな調査時期は1918(大正7)年から1929(昭和4)年までと京子の記事より時代は下るが、興味深いデータが種々掲載されている。
たとえば、芸娼妓になる理由は家計のためが44%、親兄弟の死亡または病気のためが20%、親兄弟の保育や救助のためが約10%、家業の失敗または資本を得るためが8%、自分の借金のためがわずか12%と、ほとんどが家の犠牲となったもので好き好んでなる者などどこにもいない。しかもスタート時点で大きな借金を背負わされ、着物や食べ物、果ては部屋の布団、掛け軸代まで稼ぎから強制的に引かれ、続けるほどに負債が増える仕組みとなっている。
足を洗うには親が大金を払って請け出すか、旦那を見つけて落籍してもらうか、ぼろぼろになって見捨てられるかしか道はない。とても「楽だらずになも」という商売ではないのだ。