宗教家夫人の“心配事”

また、第5回(10月22日付)で訪れた私立名古屋英和学校長である大島多計比古たけひこ邸でのこと。行商人として門前に立った京子は、旅行前の暇乞いに立ち寄った宗教家小方仙之助の夫人が、何やら気になることを話しているのを聞く。

此頃このごろはどうもんでございますか、一郎が度々たび初子と話を致すようで、余り交情がすぎますとツイ昔の事など考えますので、大変当人の不為ふためございますしわたくしはもう大不賛成なので厶います……何卒どうぞ其辺そのへんよろしく……」

などと話している。どうやら小方夫人ご令息の一郎氏が初子嬢(親戚か女中か)と仲がいいことが気になっているご様子。つい考えてしまう〈昔の事〉とは、前後の脈絡から察するに一郎氏が女性関係で過去に何かやらかしたのだろう。

それにしても知らなかったとはいえ京子が玄関先で商品を拡げているところで言伝ことづてしたのは失敗だった。身内の恥を紙上で大暴露されるとは夫人も不運極まりない。何しろ一郎氏の「昔の事」を読者の想像に任せることほど始末に負えないことはないのだから。

古い学校の廊下
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荒れきった病院や法律事務所をレポート

第6回(10月23日付)で訪れたのは、竪杉之町「長松病院」。そこでは看護師や職員たちが〈衛生上素人しろうと眼にも宜しからずと見ゆる八畳敷〉に住み込んでいる。その八畳敷の不快な様子が京子の観察眼によりじっくりとあぶり出される。

〈隅々は気味悪き迄薄暗く溥乎しっとりと湿気を含みたる室内の空気は異様の悪臭を伝えて黴菌ばいきんの養成には申分もうしぶんも無し〉など、営業妨害にしかならないような描写が続く。

第7回(10月24日付)「佐藤清三郎法律事務所」の回では、立派な門構えから通されて土間を通ってみると〈洋傘パラソルは卒倒し雨傘は寝そべり足駄駒下駄の類は酒落臭しゃらくさくも人間並に相撲取りの大らんちきその不整頓なること怖ろしなんど云う許りなし〉という荒れっぷり。25、6歳の若奥様は「どうせ珍らしい物なんか有りやしまいホゝゝ」などと憎まれ口をきく。

「オヤ此衿留このえりどめ買おうか知ら、三十銭……まあ高価たかいねえ、お前のうち何処どこだい、フン大阪、私かい、私も大阪さ……堂島の女学校に居たんだよ……今の三越の処に呉服屋があったが其処そこの娘達は私の友達さ……」
「アラッ此紅このべには下等だわねえ」
「アゝちっとも欲しい物は無いねえ」

と高慢ちきに言いたい放題。揚げ句「小間物屋さん名古屋でそんな贅沢品を買ううちは五十六軒だよ」と言うに至っては、下等なのか贅沢品なのか一貫性のなさに苦笑するしかない。