2000年以上前からある

発掘に参加していたとある日、私は遺跡周辺をくまなく歩くこととなった。これは一般調査と呼ばれるもので、周辺の地形や他の遺跡との位置関係、あるいは畑から土器片などが出土する地点の広がりなどを調べる重要な調査である。

この重要な調査のさなか、私は近所の農家の便所を借りることになった。その農家では母屋の脇に便所があるというので行ってみると、イメージしていたよりもやや広めの、レンガで囲われた20畳ほどの四角い空間があった。立派な便所だな、と思いつつ、特に気にせず中に入ると、まず目に飛び込んできたのは入り口右手にある鉄扉である。

用具入れかと思い特に気にしなかったが、奥から何かの気配がする。本能的に異変を感じ、外に出ようかと逡巡したが、次にどこで便所を借りられるかわからないので意を決し、便所(であろう)部屋の中央の穴へと向かった。

すると、鉄扉の奥がざわめき立ち、「ブヒブヒ」いう音が聞こえるのである。明らかに豚である。そのとき、ようやく合点がいった。これが豚便所だったのか、と。

豚を飼う地域では豚便所は普遍的にみられる施設であり、中国でも古くから利用されていたことがわかっている。漢代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)には、日用品のミニチュアを土器で作り副葬品として墓に納める行為が流行したが、家のミニチュアやかまどのミニチュアにまじって、豚便所のミニチュアも出土する。

一見すると普通の建物の模型だが、中央に豚のミニチュアが配置されているので、これが当時の豚便所を模したものであると判断することができる。中には子豚のミニチュアを作る例もあり、結構かわいい。豚は雑食動物なので、なんでも食べる。人間の排泄物も豚にとっては貴重な食糧であり、飼育するにあたってこれほど都合の良い生き物はいないだろう。

太古の昔からイノシシが家畜として選ばれたのには、このような飼育の容易さも大きく関わっているものと思われる。

生きることの奥深さを知る

閑話休題。気配でわかるのか、用を足そうとする私に豚は明らかに興奮しているようだ。彼(彼女?)からすれば餌が来たのだから無理もないが、鉄扉をガチャガチャさせて今か今かと待たれると、こちらとしてもやりづらい。

平常心を意識してなんとか用を済ませ立ち去るころには豚の興奮も最高潮である。ブフオォという鼻息に、「口に合いますかどうか」と申し訳ない気持ちになる。私が便所を出ると農家のおばちゃんがやってきて鉄扉の鍵を開け、待ちに待った食事の時間が始まる。

たまの御馳走として食卓に並ぶ農村の豚は、このようにして飼育される。私たちのものを食べて育った豚を、さらに私たちが食べる。食べて生きるというサイクルの奥深さを垣間見たような気がして、複雑な思いを抱えたまま私は調査に戻った。