可能条件と必然条件

ウォルトン社長は、若い世代だけでなく、社長、会長の席にある日本人のエグゼクティブたちの中にも「私が世界各国で会ったエグゼクティブ同様、多国籍企業的思考を身につけている人がいる」と言う。ただしこの辺になると、もはや客観的かつ定量的には立証困難。そこでメンタリティ問題はこれくらいにして、それ以外の日本企業多国籍化条件を尋ねることにした。答えは「多国籍化できる条件と、しなければならぬ条件」という形で返ってきた。

Walton できる条件の第1は、日本が大企業を発展させただけでなく世界中の消費者のニーズを満足させる点でも、注目すべき技能=skill を示してきたことです。ソニー、トヨタなど、その好例です。

第2に経済が発展し、資本を持たない国に投資できる資本を所有していることです。

一方、しなければならない条件はたくさんある。まずあまりにこれまで夢のような成長に慣れてきていること。この成長ペースを維持するためにも、多国籍化が必要になるでしよう。それから現在の貿易収支の驚くべき出超。これの均衡策のひとつは資本投資です。

さらに日本は「3つの不足」から、多国籍企業化を迫られると思います。第1に資源。第2に余剰労働力。第3に土地の不足です。いずれも、海外に求めざるをえなくなってきています。

ひとつ問題になるのは——というより貴方がたがよく問題にするのは「日本はこの面で出おくれている。まだどこかで受け入れ余地はあるのか」ということですが、その答えはアメリカのテレビ市場が示しています。テレビはイギリスで発明され、アメリカで大量生産されましたが、現在のアメリカ市場は、日本に明け渡しているのが実情です。むしろ遅いことには利点さえあるはずです。他国の人たちが犯してきた間違いを繰り返さずに済むんですから……。

経営にゼネラル・セオリーなし

理路整然……日本企業は多国籍化でき、またしなければならぬようだが その際の戦略いかん? 日本的な多国籍化の道はあるだろうか。答えは「たったひとつの、どの会社にとってもベストの方法は存在しない」というものであった。

ウォルトン社長は、同じような意味の発言を幾度か行った。「経営にゼネラル・セオリーなし」というのは、多国籍企業化戦略に限らず、マッキンゼー社のコンサルティングの基本的な立場でもあるようだ。考えてみればごもっともで、「だからこそ、コンサルタント会社の存在意義がある」というわけである。

ただし、判例を参考にすることはかまわない。ウォルトン社長は多国籍企業化の方法として、3つの実例を紹介してくれた。石油会社、IBM社、それにハインツ社の例である。

Walton たとえば石油会社は伝統的に直接的な所有と投資で海外に進出してきましたが、現在では合弁会社とか、われわれがマネジメント契約とよぶ方式に変わってきました。このマネジメント契約というのは、資産を所有せず、原料の供給を受ける見返りにマネジメントを提供するという方式です。

これは特にマネジメントのレベルの低い開発途上国への進出によく見られる方式で、日本向きではないでしょうか。というのは日本は原料に関心があり、同時にマネジメントの水準は高い。一方開発途上国は、原材料の所有権やその採取に投資する権利を放棄したがらなくなってきている。そこで、原料供給契約とマネジメント契約のバーターが有効な方法になってくる。

IBMの場合は、これと対照的なアプローチです。というのは、この会社は基本的に、技術的ノウハウ、マーケティング技能、サービス能力の3つの点で絶対の強味を持つ単一製品を扱っている。全世界に同じ"もの"を売っているわけで、こういった場合には、マネジメント契約には関心を示さないでしよう。彼らの関心事は、これら3つの強味の最大化だけです。製造はどこでもできるし、工場は経済的・政治的に最適な場所をどこでも選べる。要するに3つの強味が、この会社の多国籍化戦略の基本的要素になっているのです。

ハインツ社の場合は、基本的にはスープと幼児食品分野の同一製品を世界各国で販売しているが、それを各市場の好みに合わせて少しずつ変えている。また国によっては幼児用の衣類や家具への多角化を検討していますが、これは"子供を持つ人に対する売り方"という点で世界的に通用する強味を持っていることが基礎にある。

つまり三者三様のアプローチですが、基本は「自社の強味、持味を基礎にした多国籍化方式」ということで共通しています。

商社の役割

ところで製造企業はともかく、世界に類を見ない日本の総合商社の海外活動ぶりは多国籍企業の名に値しないだろうか。ウォルトン社長は、その実力を高く評価し、可能性無きにしもあらずとしながらも、機能の違いを理由に、否定的であった。むしろあるべきコースは製造企業と商社の二人三脚による多国籍化という意見で その例として化学会社のデュポン社のケースを挙げた。

Walton デュポン社は戦後ヨーロッパに目を向け、セールスエージェントや弁護士から成る国際事業部を組織しました。ところがそれから約8年後、この国際事業部は、繊維や塗料の製品事業部から技術者やマーケティング担当者を引き抜き、海外活動に関する全機能を備えました。それから投資、合弁事業、買収といった手段で市場づくりを進めたのですが、やがてそれまでのアメリカからヨーロッパへの一方的な製品の流れに代わって、国境を越えた製品の相互の動きの必要性を自覚するに及び、この国際組織でも十分でないことがわかってきたのです。そこでたとえば繊維事業部は、自分自身を多国籍企業化する——つまり国際事業部のお世話にならず、直接海外活動をする方向に向かいました。

国際事業部は縮小を始め、逆に製造部門が独自の観点から多国籍化を開始したのです。

もしこの例の中にアナロジーを求めるとすれば、日本企業の多国籍化コースにおいて、商社が縮小し始め製造企業が成長し、独自に多国籍化を進めるという場面を想定できるのではないでしょうか。