「お金を払えないなら何もできない」

人が野良猫にどこまで関わったらいいのか、正解はありません。

モコ先生は、一人の人が全部やる必要はなく、できることをしたらいいと考えています。ずっと忘れられない出来事があるのです。

mocoどうぶつ病院を開院する前に、アルバイトで短期間働いていた病院でのこと。その動物病院は純血種の犬を連れてくる人が多いところでした。待合室はいつも大混雑。診察費が高いことで有名でしたが、そのぶんモコ先生のような獣医師をふくめ従業員のお給料にそれが反映されていました。働く人にとっては待遇のよい病院だったのです。

ある日の夕方、小学生くらいの子ども三人がこの病院を訪ねてきました。そのうちの一人が両手に大きな段ボール箱をかかえていて、残りの二人が受付の人に何かを話しかけていました。

するとおくから院長先生が「お金はだれがはらうんだ」と事務員に言っている声が聞こえてきました。費用の相談をするのか、子どもたちは病院の電話を借りて、親と話しているようです。ある子が「うん、うん」とうなずき、うなだれて受話器を置きました。そばにいた二人に視線を移し、首を横にふっています。

「じゃあ何もできないけど、そこに置いていきなさい」

院長先生が受付前に出てきて、子どもたちに言いました。事務員に対してよりははるかにおだやかな声です。子どもたちはうなずき、もごもごと「よろしくお願いします」とつぶやきながら、段ボール箱をゆかに置いて立ち去りました。

動物病院
写真=iStock.com/Morsa Images
※写真はイメージです

「すみっこの段ボール」がいまも脳裏に焼き付いている

子どもたちがいなくなった後、院長先生は看護師に「すみっこに移動させておいて」と指示しました。今度は冷たい、よくようのない声です。

看護師さんたちがときおり段ボール箱をのぞきこみ、なみだぐみながら何かささやき合っています。モコ先生もそっと近づき、段ボール箱の中をのぞきました。段ボール箱には透明なビニールぶくろがしかれていて、その上に黒い猫が横たわっていました。体には白いつぶのようなものが大量についています。シラミがわいているのです。猫はかなり衰弱していて、もう虫の息でした。

そしてその日のうちに、黒猫は死にました。

「何かしてあげられること、あったんじゃないかしら。院長先生、ひどい」

看護師さんはなみだを流していましたが、モコ先生は自分も院長先生と変わらないと思っていました。治療しましょう、手当てしましょうと言えなかったからです。それどころか子どもたちが帰った後、院長先生が「まったく、獣医はボランティア事業じゃないんだ」と言えば、(たしかにそうだな)と反論できず、だまるしかありませんでした。

けれどもその時に目にした、診察室のすみっこにまるでけがらわしい、じゃま者のように置かれている光景が、モコ先生の脳裏にずっと焼き付いているのです。