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小さな不満の積み重ねに感情面で対処した

今回の一連の報道は、一般企業にも通じるレピュテーション(風評)リスクというものの難しさを物語っています。

首相が親族を秘書官に任命すること自体は法律に違反していませんし、前例もあります。世襲を前提にした人事であることは容易に想像できますが、世襲だからといって一律に批判するのもおかしな話です。2世、3世にも優秀な人はいますし、世襲でなくても不祥事を起こす人はいます。そこは出自の如何ではなく、本人の努力や能力で語られるべきだと思います。

ただ、世襲であればこそ細心の注意も必要で、むしろ一般人よりスタート時点からハードルが高くなることは重々意識すべきでした。

そもそもレピュテーションリスクの多くは不条理・不合理・不公平なもの。ある人はOKでも別の人だとバッシングされたり、A社はスルーなのにB社は炎上したり。当事者からすれば「なぜ自分だけが」という不公平感を抱きがちですが、よく観察すればそこには世論の「感情」が潜んでいます。

アジアのオフィスの彼の仕事職業に肌に及ぶ不況
写真=iStock.com/YinYang
※写真はイメージです

「ハインリッヒの法則」という定理がありますね。労働災害分野で使われる概念ですが、「1つの重大事故の背景には29の軽微な事故があり、さらにその背後には300の異常(ヒヤリ・ハット)が潜んでいる」というものです。

この観点で考察すれば、翔太郎氏の言動の数々は、それ単体では「重大事故」ではないものの、軽微の「違和感」、つまりヒヤリ・ハットが積み重ねられた結果として見ることができます。

翔太郎氏は政治家として2世どころか4世に当たります。今、格差の拡大や貧困などが問題となる日本社会で、翔太郎氏の存在は極めて恵まれた立場として、国民の視線に晒されています。翔太郎氏が能力不足だったとは思いませんが、そうした立場上、「1万努力してようやく1良いところが伝わる」くらいの意識が欲しかったですね。少なくとも「3頑張ったのだから、1くらい認めてくれ」という意識では全然足らなかったということです。

では、翔太郎氏は何を「頑張る」べきだったのか。まず考えられるのは給料です。もし彼が首相秘書官の給料を満額貰っていたとするなら、安い水準にとどめておくべきだったかもしれません。僕は大阪市長時代に、僕の側近を特別秘書に任命したのですが、その際は彼の給料を役所の年齢給に合わせて引き下げました。通常、特別秘書ともなると待遇もそれなりですが、豊富な経験や人脈から市長をサポートする年配の特別秘書ではなく、民間から来た若者が修業も兼ねて就いているのですから、そこは給料・待遇面で同年代の常識ラインにとどめて然るべきです。

あるいは、自らの移動手段は事情が許す限り電車かタクシーにする、といったことを日頃から意識していれば、首相の外遊先で「公用車を利用して」「観光のような写真撮影」や「土産購入」などの発想には至らなかったはずです。

それでもなお、どうしても土産が必要というなら、僕が岸田首相の立場であれば私設秘書に買いに行かせます。あるいはそれ以前に、外遊先から土産を持ち帰らなくてはならない慣例など廃しますけどね。