「隔離一辺倒」の感染症法は警察権力の名残

警察権力を握る内務省の内情は複雑だ。

衛生行政が、内務省に移ったことで、さまざまなしがらみが生まれる。特記すべきは、明治19年には衛生局が設置されるが、それ以前から存在した警保局が所管した衛生警察行政の影響を強く受けたことだ。

警保局は、明治44年の大逆事件を機に、思想警察である特別高等警察(特高)を設置する。大正14年に制定された治安維持法を所管する部局だ。当時、警保畑の内務官僚は、衛生警察と特高をローテーションした。

これがわが国の公衆衛生の雛型の一部である。

現在も、さまざまなところに影響が残っている。ハンセン病からコロナまで、患者の権利の保障はそっちのけで、隔離一辺倒の感染症法など、その典型だ。

この対応は、様々な差別を生み出した。昭和49年に公開された野村芳太郎監督の『砂の器』は、ハンセン病の差別を描いたものだ。野村監督は、京都生まれで、父親は日本映画の草分け的監督である野村芳亭だ。マリア会が設立した暁星小学校、中学、そして慶應義塾大学を卒業している。第二次世界大戦ではインパール作戦に従事している。野村は内務省・帝国陸軍とは肌が合わなかっただろう。『砂の器』では、様々な場面で、内務省や帝国陸軍への批判が盛り込まれている。

ホテルに泊まるのに名前と住所を書くのはなぜか

問題は感染症法だけではない。旅館業法も同様だ。

同法では、ホテルに宿泊する際には、氏名と住所を記さなければならないと規定されている。その目的の一つは伝染病の蔓延を防ぐことだ。集団食中毒や伝染病などが発生した場合に、感染ルートをさかのぼって探索できるようにするためとされているが、職場、学校、交通機関、飲食店と旅館を区別してあつかう合理的な理由はない。

宿泊登録
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このような法律が残ってきたのは、使い勝手がいいからだ。警察に追われる人が実名でホテルに泊まる訳はない。戦前から現在に至るまで、別件逮捕の理由に使われている。平成7年のオウム事件で、偽名で宿泊した信者が逮捕されたのは、その一例だ。こんな「別件逮捕」が可能なのは、内務省時代の衛生警察の名残である。

別件逮捕は、これだけではない。

知人の元厚労官僚は「感染症法の届け出義務違反は、今でも警察から要請されれば情報を提供する。別件逮捕の理由で使われる」という。この人物は、某県に出向していたときに、地元の警察から照会を受け、情報を提供したことがあるらしい。