「瀬戸内寂聴」は、もう出てこない
今回の「W不倫」に注目が集まるのと時を同じくして、ラジオプロデューサーの延江浩氏による小説『J』(幻冬舎)が出版された。
同作は、2年前に99歳で死んだ作家の瀬戸内寂聴が、48歳年下の妻子ある男性と4年にわたって不倫関係にあった、その日々を、あけすけな性描写とともにつづっている。
「W不倫」、それも、広末氏と鳥羽氏による「交換日記」の文面をことこまかに暴露した『週刊文春』は、同じ号で、『J』の中身や背景を解説している。
日本国憲法第21条で保障されている「通信の秘密」を侵しているのではないか、との非難の声が日に日に高まる記事を載せながら、『J』についての記事を、つぎのように結んでいる。
“男女の性愛を余すところなく描いた瀬戸内寂聴。死後も、愛と性にまつわる話題で我々を驚かせるのも、彼女の面目躍如である。”
広末氏が、将来その生涯を終えたあとに、こうした評価を得られるとは、とても思えない。
独身の作家だから(瀬戸内寂聴氏)、とか、夫と子どもを抱える女優だから(広末涼子氏)という属性の違いだけではない。
もはや時代は、瀬戸内寂聴氏を認めなくなってきている。「不倫」が否定されつづけてきた40年の結果である。
なぜ不倫は、たたかれ続けるのか
では、不倫は、なぜここまで人々の心を逆なでするのだろうか?
それは、日本が、性に潔癖な社会になったからである。
こう書くと、他の国、たとえばキリスト教徒の多い国のほうが、よほど日本よりも不倫に厳しい、との反論が出るだろう。
五十嵐彰氏と迫田さやか氏の共著『不倫 実証分析が示す全貌』(中公新書、2023年)が指摘するように、日本では、不倫を「間違っている」と答える割合が90%という高水準にありながらも、「他国と比較すると、日本は不倫に対して緩めの態度である」(同書、48ページ)。
どこが潔癖なのか。
それは、セックスレスの増加、および、若者の性交経験率の減少、という2つの流れにあらわれている。