日本人は「性善説」、中国人は「性悪説」

そこには、日本には伝統的に性善説が根づいていることが深く関係している。

心理学者塘利枝子は、東アジア4カ国の小学校の教科書の分析を行っているが、そのなかの日中比較には、性善説に立つ日本と性悪説に立つ中国の対照性が見事にあらわれている。

日本の教科書には、敵とは知らずに無邪気に善意を信じて懐に飛び込んだ結果、本来、敵であったはずの相手の気持ちが変わり、味方になってくれたという作品がみられる。

それに対して、中国の教科書には、敵はあくまでも敵であり、うっかり同情すると痛い目に遭うことを諭し、けっして敵の命を救おうなどとしてはならないことを強調する作品がみられる。

小学校の教科書には、人間形成における基本的な考え方が反映されているはずである。ゆえに、このような教科書の対照性から、日本では相手を信頼し、相手に任せれば、こちらの信頼を裏切るようなことはしないはずだといった性善説に基づく価値観をもつように教育しており、中国では相手を疑い、常に警戒心をもって自分の身を守ることが大切だというように、性悪説に基づく価値観をもつように教育していることがわかる。

多くの国では常に相手を疑い、警戒するのが基本

性悪説に立つのは中国だけでなく、欧米諸国をはじめ、ほとんどの国が該当する。海外で暮らしたり、海外旅行をした人、あるいは海外とビジネス上のかかわりをもったことのある人なら、だれもが感じるのは、海外では日本にいるときのように呑気にしていたら騙されてしまう、自分の身は自分で守ることが必要だということである。

日本人は、ともすると「そんなインチキはしないだろう」「ちゃんとやってくれるはず」「そんなえげつないことをするはずがない」「疑うようなことはしたくない」などと無意識のうちに相手を信頼してしまう。だが、それは性善説に立つ姿勢であり、ほとんどの国は性悪説に立っているので、常に相手を疑い、警戒することで自分の身を守るのは、国民の基本的な姿勢とみなされている。