最後まで反対し続けた父親
この時期、一気に四面楚歌、孤立状態になったことをよく覚えています。反対する人のなかでも、もっとも反対したのが父です。
「お前は創価大学30期生の幹事をしている。そんなお前が本部をやめるとなったら、仲間に動揺が広がる。お前に励まされてきた人たちはどう思うのか。学会のこれからを考えたら、お前の力が必要だ」
しかしぼくは、やめるという結論を変えるつもりはありませんでした。学会本部のなかにいると、自分に嘘をつくことになる。それが許されないのです。このとき、すでにぼくの生きかたは変わっていました。少なくとも、自身の本音に耳を澄ませることができていた。転換点は、ここにあります。
ケンカが沸騰したある日、父からこんなこともいわれました。
「やめるも地獄、やめないも地獄だぞ」「俺はお前を支持しない。もしやめるなら、なにも手伝わない。一人で転職ができるのか? 厳しいぞ。無理だ」
脅していますよね。それでも、ぼくは引きませんでした。
このときに駆使したのが、親との和解や互いの理解の懸け橋を生みだす3つのポイント、①「エンパシー」をもって親と接する、②他人ゴトのように自分ゴトを見る、③「やられたら受けいれ、認める」コミュニケーションの型を駆使する、という対話の手法です。それでも、父に納得してもらうまでには1年の時間を要しました。
自分の頭で考え、正直に生きると決めた
父は最後まで、こういってきました。
「俺は、お前に学会のこれからを担ってほしい。」
ぼくは、静かな口調で返答します。
「オヤジはさ、俺に『オヤジが思うとおりの人生』を歩ませたいの? 俺の人生はオヤジのものなの? それは、オヤジのエゴだよ。俺の人生は俺のもの。俺は『俺が思うとおりの人生』を生きたいんだ。わかってくれ……」
しんと静まり返る家のリビング。長い、沈黙。そののち、父がようやく口を開きます。表情は、少し柔和になっていました。「わかったよ」。そして、「たしかにそれは俺のエゴだ。お前の気持ちと決意はわかった。もうなにもいわない」とつづけました。
創価大学への進学、学会活動への参加、学会本部への就職――。これまで、親や周囲の説得によって自分の思いに反した決断を下してきたぼくが、このときようやく「自分の本音に耳を澄まして、自分の頭で考え、自分に正直に生きよう」という人生をスタートできた。この一歩は、現在まで価値を輝かせています。
自分で決めた行動原理に従う。それは、ぼくにとっては遠く、そして困難な道のりでした。でも、達成できました。きっと、あなたにもできると思います。どうか、希望は捨てないで。