図書室を放っておく校長は信用できない

何といっても、赤木流図書館改造のキモは、不要な本を処分することだ。一気に3000冊捨てた。廃棄台帳にいちいち記入する必要はなく、「一括廃棄」と一言書けば事足りる。美術書など、貴重なものが交じっている可能性もあったので、ネットで古書を扱う業者に取りに来てもらった。廃棄本の片付けを手伝う代わりに、再販売が可能なものはどうぞネット販売して収益を得てください、とお願いした。ギブ・アンド・テイク、WinWinの関係だ。

赤木流でやれば、図書室が明るくなり、利用者も増え、司書も先生方も喜ぶことを実感したので、その10年後には一条高校でも同じ改造を試みた。

一条高校には専任の司書がいたから、「僕がまだ読んでなさそうな小説やノンフィクションで、これは読ませたい、これは素晴らしいという本があったら、紹介して」と声をかけ、未知の本を半年間に10冊くらい読めたのは収穫だった。図書室は、社会との架け橋なのだ。

そんな図書室を利用して教養を磨くことは、校長の特権かもしれない。

逆に私には、利用されない図書室を放っておく校長は信用できない。たぶん、本に興味がないのだと思う。自分で調べることも、ノンフィクションや小説を読むこともないのだろう。実際、本好きな校長には滅多にお目にかからない。

日常的に本を読まないで、どうやって教養を蓄積するのだろうか。図書室を放っておく校長は、ウソくさい!

ぼやけている公共図書館
写真=iStock.com/Zephyr18
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保健室が人気なのは“評価されない場所”だから

③避難所となる「居場所」を作っているか

カウンセラー(臨床心理士)が常駐していれば、子どもたちも心の悩みを相談しやすくなる。でも、週に1回とか2回では難しい。ましてや親の相談も受けるから、スケジュールは通常すぐに満杯になってしまう。

また、ベテランでないカウンセラーの中には、かえってケースをややこしくしてしまう例も見受けられる。さらに言えば、親が精神に異常をきたしているケースでは、カウンセラーや児童相談所のパワーだけでは解決に向けて動けない。医療や警察との連携も欠かせないからだ。その場合には、これらの専門家をチームとしてまとめるソーシャルワーカーの登場が期待される。

ただ、それ以前に私には感じることがあった。学校には、子どもたちが「成績」や「評価」から解き放たれて癒される場が少ない。息を抜ける避難所がない。だからこそ“評価されない場所”として保健室が人気になる。養護教諭は成績の評定をしないからだ。

だったら、直接担任しない校長も子どもたちの成績を評価する教諭とは違う立場だから、「ナナメの関係」からオジサンぽく迫ったら、良い関係が作れるかなと考えた。