※本稿は、藤原和博『学校がウソくさい』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
人間的魅力のある校長は「スピーチ力」がある
まともな校長に率いられた「良い学校の見つけ方」について話をしよう。
本書で述べてきたことから類推してもらえば、校長になる教員は、そつのない人だとわかるだろう。人格者だからでも、一番教養があるからでもない。どちらかといえば事務処理能力に秀でているタイプである。そんな中でも、ときに情報編集力があり、人間的に魅力のある校長もいる。
そういう人物は、入学式や卒業式での話が実に上手い。リスナーである新入生や卒業生、その後方に座る保護者を納得させる話ができる。そう、話力だ。リーダーシップがあり、マネジメント力がある校長かどうかを見分ける手立てに、このスピーチ力がある。私の実体験からして、これはかなり信頼できるアンテナだ。
だからこそ、せっかくの式辞で原稿をマル読みするのは、もったいない限りだ。聴衆だってシラケるだろう、ウソくさい! と。要点のメモを見るのはOKだが、あくまで自分の言葉で語ってほしい。なぜなら自分の言葉で語れるかどうかが、当事者意識を持って学校経営にあたっているかどうかにつながるからだ。
とはいえ、校長のスピーチを日常に何度も聴くことはできない。ならば、どうするか。
だいじょうぶ。見分けるポイントは他にもある。
玄関、トイレ、廊下に貼られた掲示物
3つのポイントを挙げよう。
「まともな運営が行なわれているか」は、学校を訪ねたときに次の3点をチェックすればわかる。
1つ目に、学校の玄関だ。通常は下駄箱がズラーッと並んでいる。ざっと見渡せば、生徒たちの外履きがどの程度踵を踏んだ状態かもわかるだろう。思い思いのシューズで構わないと思うが、若干の乱れはあっても、全体が整然と揃っていれば、荒れている学校ではない。
2つ目に、トイレだ。綺麗に越したことはないが、古いトイレを大事に使っているかもしれない。生徒が荒れていれば、蹴りを入れられてドアが蹴破られたりもするだろう。でも、その穴が新聞紙や段ボールやベニヤ板で補修されているようなら心配ない。大人が日常的にメンテナンスしているものはたいていの子は大事に扱うようになる。逆に、放っておくと荒廃は進む。
3つ目は、廊下の壁に貼られた掲示物だ。小学校では、教室内や廊下にも絵などの制作物が掲示されているものだが、中高でも掲示物の扱いは重要だ。画びょうが取れて風にたなびいている状態であったら要注意。細かいことだが、こうしたところに学校がきちんと管理運営されているかどうかが、如実に表れる。