岸田首相と安倍元首相の違いは何か

岸田首相と安倍元首相の違いは何か、と聞かれることがある。しかし、安倍元首相は傑出した指導力を持ち、経済面と国際政治面で理想を実現した異例の政治家なので、就任する首相をいちいち比較しては気の毒である、というのが私の意見だ。ただ、その指導力という点では、岸田首相はもう少し積極的に力を発揮してもいいように思う。

幼少時代、3年間ニューヨークで暮らして地元の小学校に通っていたという割には、アメリカ的な個人主義が見受けられない。なるべく敵をつくらず、いろいろな人の意見に耳を傾ける日本風のスタイルである。

首相就任後初めての所信表明演説では「早く行きたければ1人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」ということわざを引用していた。それを個人的な座右の銘とするのはいいかもしれない。しかし、首相は日本人をより幸せにするため、国民がどこに向かって進めばよいのかを指し示す地位にいる。また、それができるのがよい政治家だ。遠くに行くのであればどこまで行くのか、そして共感した国民がどうしたらついてこられるのかを具体的に示してほしいものである。

政治家が政策を運営する際には、官僚から助けを借り、各省間の調整を頼むことが必要となる。しかし、基本的政策が官僚の言いなりになってしまったのでは、政治家の使命は果たせない。それなのに、今現役の閣僚を含む複数の政治家からは、「財政・金融政策については、財務省や日本銀行の専門的知識が必要だ。政治家には理解が難しいので、専門家に任せる」と、自らの政策判断能力にさじを投げるような発言を聞くことがある。

霞が関
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確かに、官庁や日銀には大学時代の成績のよい人材が集まり、おおむね日本の国益に利する方策を良心的に考えようとしている。しかし、彼らが長く勤めているうちに、政策に関する見方が自分の属する省や機関の利害を反映するようになる恐れがある。

例えば、バブル後の過剰な金融引き締めの傷がまだ癒えていなかった00年、日銀はそれまでのゼロ金利政策を解除してデフレを招いた。また、財政均衡にこだわる財務省の意向に従った民主党政権は消費税引き上げを決めて、景気回復をさらに遠ざけてしまった。

安倍氏はこうした経緯を間近で見て、「日銀や財務省も間違えることはある」と学んだと述べている。その後、政権を離れていたとき、自分でじっくり勉強し、スティグリッツやクルーグマンなど外国の学者の意見も聞きながら、自分の考えをまとめていった。岸田首相にも官庁や日銀の思惑に飲み込まれることなく、自分の考えを整理して政策を打ち出していってほしい。