自分の未来が見えてしまった
そこへ今度は、一説によると、これまでの領土である坂本城や丹波を召しあげられ、まだ織田領となっていない出雲(現・島根県東部)、石見(現・同県西部)を与える、との信長の命令が届いたという。
室町幕府のような守護を否定し、近代国家に近い官僚制の、全国統治を信長が考えていたとすれば、光秀の“未来”はもはや見えたようなものであった。酷使されたあげく、あとは難癖をつけられてポイッと捨てられる。苦悩する光秀の頭には、朝廷も足利義昭も同様の悲愴感をもっていたものに映ったに違いない。これらを連携すれば、あるいは……。
いずれにせよ、光秀は天下を取った。だが、彼の“三日天下”のみならず、世界史にみられる軍部に拠るクーデター政権などを思い浮かべると、正面切って反対勢力――光秀の場合、秀吉軍――が興ると、叛逆者はいたって、あっさりとその座を明け渡すもののようである。