「人格を否定するような動きがあった」
天皇陛下は、皇后陛下のご体調が最悪だったとされる平成16年(2004年)5月10日の、デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際しての記者会見で、衝撃的な発言をされている。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と。
「皇太子」という重いお立場を考えると、大きな勇気を必要とするご発言だった。それは当然ながら波紋を広げた。しかし、これがきっかけになって、宮内庁はようやく専門医を探すなど、本気で皇后陛下のご体調への配慮を見せるようになった。
だが、宮内庁がもっと速やかに対応できていれば、皇后陛下が今もご静養を続けなければならないほどの症状の悪化は、避けることができたのではないか。
皇后陛下への執拗なバッシング
このような事態を招いた最大の理由は、お世継ぎ問題の重圧、「男児を産め」という強い圧迫だった。
その上、ご病気が原因であるにもかかわらず、皇室のさまざまなご公務や祭祀に十分、携われないことが、バッシングの材料とされた。
皇后陛下への事実無根の執拗なバッシングは、時に天皇陛下にも飛び火し、さらに幼い敬宮殿下についてさえ、デタラメな記事が週刊誌に載る始末だった。天皇陛下にご病気がちな皇后陛下とのご離婚を迫り、それが無理なら皇位継承の順序を変更して、秋篠宮殿下に即位していただくことを主張するような論説すら、現れた(八木秀次氏『SAPIO』平成19年[2007年]5月9日号)。
皇后陛下は昨年のお誕生日に際しての「ご感想」の中で、ご結婚以来の歳月を振り返られて、次のように述べておられた。
「これまでの人生を思い返してみますと、29歳半までの前半にも、また、皇室に入りましてからの後半にも、本当に様々なことがあり、たくさんの喜びの時とともに、ときには悲しみの時も経ながら歩んできたことを感じます」
さりげなく「ときには悲しみの時も」あった、と往時のおつらかった日々に触れておられる。
「平成」から「令和」へ
しかし、時代が「平成」から「令和」に移ると、国民の多くは天皇陛下のご即位を心からお祝いした。令和元年(2019年)11月10日に行われた祝賀パレード「祝賀御列の儀」には、およそ11万9000人の国民が沿道に詰めかけ、歓声を上げ、日の丸の小旗を振って、お祝いの気持ちを表した。オープンカーに乗られた両陛下のお顔は喜びにあふれ、皇后陛下は時折、喜びの涙を拭われた。
その後、コロナ禍に見舞われたために、天皇・皇后両陛下が望んでおられる国民との身近な触れ合いが、しばらく困難になってしまったのは残念だった。
そのような中、令和4年(2022年)3月17日に、敬宮殿下がご成年を迎えられたことにともなう記者会見が行われると、人々はそのご成長ぶりに目を見張った。お健やかでご聡明、さらに優美さの中に温かなユーモアまで兼ね備えられた、まさに“皇女”としての輝きに満ちたご会見だった。
敬宮殿下のお姿を通じて、天皇・皇后両陛下が国民と苦楽をともにし、国民に寄り添われる皇室の伝統的な精神を受け継がれ、しかもお幸せなご家庭を築いておられる事実が、国民の前に鮮やかに示された。