過去の判例では賠償額個人で1500万円の例も
独立・起業時に十分な資金やノウハウ、人脈を備えている人はめったにいない。そのため、当面の戦力として、上司や部下を新会社に引き抜くこともあるだろう。基本的には、憲法22条「職業選択の自由」が万人に認められているので、「転職の自由」も保障されている。とはいえ、やり方によってはトラブルに発展することもあるので注意したい。
具体的には、人材を引き抜かれた会社側は損害賠償請求や事業の差し止め請求を起こしてくることがある。会社側の主張が認められれば、数百万円から1000万円単位の賠償金を支払わなければならない。
では、どんなケースがアウトなのか。その行為が退職前か退職後かで大きく異なる。在職中は取締役であれ、従業員であれ、原則として引き抜きは違法となる。前者には、会社のために忠実に職務を遂行する「忠実義務」(会社法355条)が、後者には、使用者の正当な利益を不当に侵害しないよう配慮する「誠実義務」(雇用契約)、使用者と競業する業務につかないようにする「競業避止義務」(同)があるからだ。
単なる勧誘であったり、前職会社への配慮があればセーフの場合もあるが、アウトかセーフかの判断材料は、引き抜かれた人物の会社での地位、引き抜かれた人数、経営および業績への影響などだ。また、勧誘の際にネガティブな情報を流したり、金銭を供与するなど悪質なやり方があった場合も指弾の対象となる。
以前、コンピュータ技術者の派遣を行う東京コンピュータサービスの営業部次長が独立に当たって、在職中から退職後にわたり、技術者を新会社に勧誘した事件があった。勧誘する際、同次長は会社の経営体制を厳しく批判、結果的に44名の社員が一斉に退職した。
東京地裁は1996年12月、この行為が社会的相当性を逸脱する違法な引き抜きであると判断。同次長に対し、1500万円あまりの損害賠償を命じた。その法的根拠は、雇用契約上の誠実義務違反と民法709条の「不法行為」である。
退職後は、委任契約ないし雇用契約が終了しているため、引き抜き行為は基本的に自由となるが、社会通念上、目にあまる場合や、退職時に前職会社と交わした誓約書に反するなど不法行為に当たる場合は、許されないのは当然だ。
前職で培ったスキルや、そこで得たデータ、外部人脈の利用にも配慮が必要だ。多くの企業では退職時に、一定期間は競合する企業に就職しない、顧客データは利用しないといった誓約書を交わす。
また、不正競争防止法2条で「不正の競業その他の不正の利益を得る目的」で営業秘密を使用・開示する行為は禁止され、違反した場合は、10年以下の懲役または1000万円以下の罰金という刑事的措置が取られることもある。
特に他社との差別化の要となる知的財産をはじめ、生産方法、営業ノウハウを独立後に利用するときは注意が必要だ。
※すべて雑誌掲載当時