日本では経営者人材の枯渇がずっと続いている

2001年に『V字回復の経営』を刊行した時には、「これはうちの会社のことを書いたのではないか」という読者がたくさんいました。この本は当時、私が事業再生専門家としてある1兆円企業が抱えた不振事業を再建した経緯を描いたものです。同じような症状を抱えた会社や事業は、当時も今も、日本にはたくさんあります。

1980年代、世界のトップにのし上がった際に、日本企業は従来の人事制度を温存させ、気骨のある経営者人材を育てることに手抜きをしてしまいました。そこにバブル崩壊がきた。

多くの日本企業は思い切った改革を断行できるような強い経営者人材を社内で育てていなかったし、またそういう人がいたとしても、思い切って抜擢するような人事革新ができなかった。そのため、しゃがむことしかできなかったのです。それが30年間も続き、しゃがむことしか教えられてこなかった人たちが経営者の年齢帯に上ってきて、急に攻めの経営に撃って出られるわけがありません。

日本の伝統的な業界ではどこでも同様のことが起こっています。新しい攻めの経営ができていないのです。何とか倒産の危機を避けるぐらいはしていますが、根本的な改革にまで手が回っていません。結果として、「失われた10年」が30年以上も続いてしまっているのです。

日本で初めての「不振事業再建のプロ」になった

――危機に陥った事業を復活させる事業再生専門家、それを三枝さんが志した経緯を改めて教えてください。

【三枝】私は25歳で大企業を離れ、当時は無名だった外資系コンサルティングファーム「ボストン・コンサルティング・グループ」に日本国内採用第1号として入社しました。戦略コンサルタントという職業が、まだ日本に存在していなかった時代です。20代の終わりに自費でスタンフォード大学に留学し、MBAを取得しました。やがて私は将来、「戦略的経営を指揮する経営者になりたい」と考えるようになりました。

そう考えたのは私の勝手で、社長のポジションに簡単に就ける時代でも年齢でもありませんでした。ところが巡り合わせで、32歳の時にその運命が天から降ってきました。経営不振の日米合弁会社に最初は常務として入り、1年後に社長になって、経営の立て直しに当たり、成功させることができました。

30代は怒涛のような経営者経験の時期になりました。そして41歳の時に自分の会社をつくり、ターンアラウンド(不振事業の再建)のスペシャリストとなることを、自らのプロフェッションとして定めたのです。事業再生専門家と名乗ったのは、おそらく日本で初めてだったでしょう。

戦略論、組織論、歴史観、そして「そこにいる人が心を熱くして、生きがいを見つける」という、働く人の心。この四つの要素を満たすシナリオを創り出すことが、私の使命です。

世の中に他にはいない職業だったため、当初は私の頭の中に「こうすれば日本の不振事業を再生できる」というフレームワークはありませんでした。私は自分なりにノウハウを蓄積していきました。50代も半ばに入ってから、その集大成として売上高1兆円企業が抱える不振事業の再生を引き受けることになります。その経緯をまとめたのが、前述の『V字回復の経営』です。