「確執」が起きる原因
深夜放送などは特にそうだが、ラジオの魅力はやはりフリートークに尽きるだろう。とりわけ伊集院光に関して感じるのは、構成力と観察力のすごさだ。
たとえば、「深夜の馬鹿力」などのエピソードトークは、往々にして長尺のものになる。しかし、話の軸がブレない。むろんブースには笑い役のスタッフがいたりもするのでその反応を見たりしながら適度に脱線もするのだが、そうしたこともありつつ話の本筋がスッと入ってくる。その意味で、構成がしっかりとしていて洗練されている。
また人間への観察眼の鋭さも感じられる。ゲストに対してもそうだし、フリートークに登場する人物の描写についても同じだ。それは、ラジオでの伊集院光の持ち味のひとつである“毒舌”の土台にあるものだろう。
テレビ出演の際の伊集院光は、どちらかというときっちりとした進行役やフォロー役のイメージが強いが、ラジオではさらっと毒を吐く。言い換えれば、反骨精神がある。そんな硬派な部分も長年リスナーを惹きつけるポイントだろう。
過去これまでニッポン放送やTBSラジオとのあいだに確執が報じられ、本人もネタなどにしつつ一部番組で示唆していたりするが、それも反骨精神の帰結のようなところがある。
そうしたことすべての基盤には、彼の原点である落語があるように思われる。トークの肉付けに必須な臨場感あふれる会話の再現などには落語的な技が感じられるし、“毒舌”の源には落語に通じる江戸っ子的な庶民感覚があると思える。
「ラジオの帝王」と呼ばれて
伊集院光は、決してテレビを拒んでいるわけではない。いまも数々のテレビ番組に出演しているように、テレビタレントとしても人並み以上の活躍だ。だが多くのタレントと違うのは、ラジオをテレビ進出のためのステップにしていないということだ。その点、現在の芸能界においてはかなり異色である。
そんな伊集院光をいつしか世間は「ラジオの帝王」と呼ぶようになった。どうやら名付け親は、テレビの演出家・プロデューサーで現在自ら「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務める佐久間宣行らしい。佐久間自身が長年に及ぶ伊集院のラジオのファンだったという。
ただ、伊集院光本人にもちろんその自覚はない。インタビュー取材などでそう言って持ち上げられたり、フワちゃんなどがその称号をいじってきたりするのでどうにも困ってしまう。だから冗談交じりにではあるが、「深夜の馬鹿力」のなかで「いいことはなにもない」と佐久間宣行に苦情を言ったこともあった。
とはいえ、現在の「芸人ラジオ」全盛時代の礎を築いたひとりが伊集院光であることは間違いない。この4月からは、ラジオの新番組がさらに2本始まった。
先日ゲスト出演したラジオ番組でも「ラジオには忠誠を誓うことにした」と明言していた伊集院光。これからもラジオの魅力を堪能させてくれる第一人者であり続けることだろう。