社会現象になったバーチャルアイドル

「オールナイトニッポン」の人気コーナーのひとつに「おべんとつけてどこいくの」があった。リスナーが妄想する恋愛シーンを書いて送るというコーナー。要するに男子が理想の女の子を語り合うものだが、その発展形とも言えるのが同じく番組から生まれたバーチャルアイドル「芳賀ゆい」である。

きっかけは何気ないところから始まった。番組で映画監督・大島渚の名前がアイドルっぽいという話題になり、そこから「歯痒い」(はがゆい)もそうだという話になった。

リスナーもこのネタに反応し、デビュー曲のタイトルやビジュアルなどをあれこれと提案するハガキが殺到するようになる。その結果、「芳賀ゆい」という架空のアイドルをどう売り出すかというコーナーが誕生した。

ポニーテールがトレードマークというところから始まり、本名「樋口麻紀子」、生年月日や出身地、家族構成など事細かなプロフィールがリスナーとのやり取りのなかでつくられていった。

伊集院光とリスナーが一緒に面白がる遊びといえば遊びにすぎない。だがこの遊びは、番組という枠を越えた盛り上がりを見せるようになる。「芳賀ゆい」は握手会を開き、「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務め、写真集も発売。1990年7月には奥田民生の作詞による「星空のパスポート」で歌手デビューも果たした。

それぞれの活動は、仕事の内容に合わせて別々の女性が担当した。全部で「芳賀ゆい」は50人以上いたとされる。

日本で初めてのバーチャルアイドル

基本的に顔は見せない。握手会であれば、手だけが見えていてファンと握手をする。もし姿を見せる必要があるならば、イメージを固定させないように複数の人間が用意された。「星空のパスポート」の発売記念イベントにはツーショット写真が撮れるという特典があったが、「アイドルっぽい可愛い子」「普通の子」「外国人」という3人の女性が登場してファンの側が選べるようになっていた。

テレビや雑誌などメディアでも大きく取り上げられた。「初音ミク」などがいるいまの時代と違い、「バーチャルアイドル」をここまで徹底して作り出すのは当時画期的なことだったからである(「バーチャルアイドル」という言葉もこの時点ではまだ存在しなかった)。「芳賀ゆい」は、一種の社会現象になった。

最終的にこのプロジェクトは、伊集院の「オールナイトニッポン」の終了に伴い、幕を引くことになった。その際、「芳賀ゆい」は台湾に留学するとされた。彼女が乗っているとされる飛行機を見送るため、羽田空港には数十人のファンが集まった。

こう見ても、ラジオ、しかも深夜放送ならではのパーソナリティとリスナーのあいだの密度の濃い一体感があってこその「芳賀ゆい」だったことがわかる。