密着しないとブラックボックスは暴けない

しかし、私は取材活動において取材先に密着することは必要だと考える。

政治の世界は言うなればブラックボックスだ。さまざまな政策等の意思決定過程は非公開で議論されることも多く、簡単にはその中身は分からない。記者会見などの表の場で問いただすことはもちろん重要だが、そこで本音を包み隠さずに全てを話す政治家はまれだろう。

そのブラックボックスをできるだけ透明化していくことこそが、記者の役割であり、取材活動の目的なのである。

国会議事堂
写真=iStock.com/maru_maru
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一方、取材先と記者との関係は極めてアンバランスになりやすいという現実がある。

われわれは取材をすることによってさまざまな情報を得るわけだが、それに対して何か対価を払えるわけではない。

もちろん、現場の実態をしっかりと把握して報道することが、政治家にとってプラスになることもあるが、マイナスになることだってある。

政界内に回っている情報を聞き出すのだから、そもそも情報の非対称性は圧倒的なうえに、嫌われ役になることも多い。それでも相手から情報を取らなければならず、必然的に記者は弱い立場に置かれてしまう。

性的関係を対価として求める人がいる

こうした中、取材相手にとって都合の良い情報しか報道しなくなったり、あるいはそこに金銭の授受などが生じたりしてしまうと、密着が一転して癒着となってしまう。報道がブラックボックスを透明化するはずが、政治家が国民に見せたいところだけを見せる偏光板となってしまう可能性もあるわけだ。

そうならないように気を付けつつ、それでも取材相手から本音を引き出すためには、日々の取材活動で繰り返し顔を見せ、会話を重ね、「こいつには批判されても仕方がない」と思われるような信頼関係を築かなければならない。

取材先と記者との関係はこうした微妙なバランスの上に成り立っている。

だが、あろうことか、記者に対して性的関係を対価として求める人が少なからずいる。

それが、記者の性被害につながっているのである。

取材先に対して記者が弱い立場に置かれていることを良いことに、一部の人間はその弱みに付け込んで性的関係を求めているわけだ。