最近では国民民主党が2020年に立憲民主党への合流組40人と、不参加組14人(現在の国民民主党)に分かれる際、40億円超の党資金をどう分割するかが大きな焦点となり、議員数比で割り振ることで決着。どちらにも属さず無所属となる8議員にも配分された。

当時の関係者は「少しでも多くの政党助成金を獲得するため一人でも多くの議員を引っ張り合う争奪戦が水面下であった。人とカネの奪い合いだった」と振り返る。

政党助成金に依存する政党にとって、現職議員は「カネのなる木」なのだ。

派閥政治、金権政治の反省から生まれた助成金

自民党議員は「政党助成金を党内でどう配分するかという権限は総裁や幹事長ら党執行部が握っている。総裁選で勝ち組について党執行部の覚えがめでたくなれば資金面でも優遇される。だからみんな総裁選に必死になるし、総裁や幹事長の派閥に入りたがる」と打ち明ける。

立憲民主党議員は「与野党一騎打ちの小選挙区制度では、党公認を得られないと勝負にならず、各議員は代表や幹事長に刃向かえない。党の資金をどう割り振るかも党執行部が決めるので、どうしても上司に忠実なサラリーマンになる」。代表選で負け組になると党内人事で冷遇され、政党助成金も手厚く配分してもらえず、資金繰りが苦しくなる。だからこそ勝ち組につかなければならないというわけだ。

1990年代以前は違った。自民党では各議員に活動資金を配るのは党執行部ではなく各派閥の役割だった。首相を目指すには派閥の親分となり、多くの議員を自派閥に引き込んで党内勢力を広げる必要があった。

派閥の親分は企業献金をかき集めて激しい派閥間抗争を繰り広げ、金権政治が蔓延ったのである。その結果、リクルート事件や佐川急便事件といった巨大汚職事件が次々に発覚して派閥政治・金権政治への批判が高まり、自民党は1993年衆院選で政権から転落したのだった。

上司に忠実なサラリーマン議員が急増した

政党を税金で助成する制度は、非自民連立政権と野党自民党の協議を経て、企業献金を制限する代わりに導入された。派閥主導から党主導へ、企業献金から公費助成へ、政党のあり方を根本的に変えてクリーンな政治を目指したのである。

同時に衆院選挙制度も、自民党内の派閥同士が競い合う中選挙区制から、与野党一騎打ちの小選挙区制へ変更され、二大政党時代が幕開けした。

約30年の時が流れ、確かに派閥は弱体化して党執行部の力が強まり、企業献金は減少した。その代わりに政党は「税金による助成」に依存するようになり、党執行部が資金の配分を牛耳ることで上司に忠実なサラリーマン議員が与党にも野党にも急増した。

自民党の閣僚経験者は「国会議員が選挙区の有権者より総裁や幹事長の顔色を窺うようになった」と話す。カネと公認権を握る総裁や幹事長は支配力を増し、いったん「勝ち組」になるとますます勢力を拡大できるようになった。どの政党でも批判勢力は影をひそめ、総主流派体制となる傾向が強まったのである。