東大の解剖体慰霊祭

虫の法要を行っているのは、そんな理由ではなく、なんとなく自分で勝手に考えてやっているだけのことです。

法要を始めたら、東大医学部で解剖体の慰霊祭というのを毎年ずっとやっていたことを思い出しました。解剖されるのは亡くなった人ですが、解剖するということは、必ず解剖される人がいます。

病院では病理解剖を行いますし、法理の解剖もあります。亡くなった人を解剖するというのは、医学部ではごく普通に行われていることです。僕も長年、解剖をやってきました。

解剖というのは、亡くなった人の体にメスを入れてバラバラにします。つまり人の体に何らかの危害を加えているわけです。その気持ちは解剖している僕らにも残ります。東大医学部の解剖学教室に勤務していたときは、「僕らはよくないことをしているのではないか?」と、勝手に思っていました。

そんな、ちょっと申し訳ないという気持ちから、年に1度、解剖体の慰霊祭が行われていたのだと思います。

ビーチに置かれたバラ
写真=iStock.com/Lisay
※写真はイメージです

「供養」をする日本人の精神性

解剖する人は、わかりやすく言うと加害者です。それに対して、解剖されている人は被害者です。慰霊祭は僕たち加害者たちの気持ちを和らげるために行われているのだと思います。

ただ、こうした行為が、世界中の人に通じるかどうかはわかりません。ケンタッキー・フライド・チキンは世界中に店舗がある多国籍企業ですが、その中で年に1回、鶏の供養を行っているのは、日本のケンタッキー・フライド・チキンだけだそうです。

他の国の人も鶏を殺して食べているわけですが、別に鶏を殺したとは考えていません。日本人だけが鶏を殺すということについて、どこか気持ちが悼んでいるのでしょう。文化の違いといえばそれまでですが、日本人は鶏を供養することでバランスがとれているのだと思います。

日本人でも「そんなの迷信じゃないか?」とか、「なんかバカなことをしているんじゃないか?」と思う人もいるでしょう。だから誰でも理解できるように、気持ちのバランスをとるのは相当難しいと思います。