中国製品排除の流れは、またとないチャンス
むしろ、安曇野の工場で製品を作ることの価値は、日本の資本の企業が日本国内で開発製造することそのものの情緒的な価値かもしれない。それは、日本製の情報機器という安心と信頼だ。
昨今、欧米や日本で中国製の通信機器やアプリの排除が進んでいる。これらは政治的な思惑の一面もあるが、中国の政治体制を考えると、企業の機密情報や個人の機微情報を託すには中国の機器には心配があると考えるのも一理ある。
それが事実かどうかはあまり問題でない。少なくとも、今日の欧米社会は中国製品に対して警戒を抱き始めている。これは日本にとってまたとないチャンスでもある。
日本企業が開発製造するからこそ安心できる
4月5日にウォールストリートジャーナルが報じたところによると欧州自動車大手のステランティスとBMWは北米のEV向けバッテリーの調達先としてパナソニックとの交渉を開始したという。これは先ほどの安心とは少し異なる文脈であるが、米国において中国製バッテリーを使ったEV車には優遇措置が受けられないということが関係している。
米中の対立が高まる中で、今後、通信機器やバッテリーだけでなく、PCについても中国製品排除の流れが起きてもおかしくはない。その時にだれがPCを供給するのか。長年自由経済の中で成長してきた日本企業が開発製造するからこそ安心できるPCというのは、今後ひとつのPCの大きな情緒的価値になるかもしれない。これは神戸の自社工場でPCを生産しているパナソニックにも当てはまる話だ。
なにも日本製だから機能的、性能的にハイスペックでなければならないという時代は終わっている。しかし、日本のもうひとつの価値である、日本の設計品質、製造品質、それに加えて、情報の取り扱いに懸念のない安心できる企業への信頼という3つの要素が今後の日本のPCに活路を見いださせるのではないだろうか。