19世紀末の「コーリーの毒」による治療とは

「がんが消える」と称する代替医療を推す人たちは「標準医療を行う医師たちは、なぜ自然退縮を研究しないのか」などと言います。中には「抗がん剤で金もうけをするために、自然退縮の研究をしないようにしているんだ」といった陰謀論を唱える人もいるのです。

しかし実際のところ、がんの自然退縮は古くから研究されてきました。文献上の最初の言及は、紀元前1550年のエジプトのパピルスにさかのぼるそうです(※1)。近代医学における、がんの自然退縮を利用した治療法としては、19世紀末のウィリアム・コーリー医師が作った「コーリーの毒」がよく知られています(※2)

当時から、がんの自然退縮は細菌感染後に起きやすいことが知られていました。コーリー医師は、皮膚の細菌感染症である「丹毒」により高熱に苦しめられた後に悪性腫瘍が消えた症例を発見し、患部にわざとレンサ球菌などの細菌を感染させて「丹毒」を起こし、がんを自然退縮させようとしました。しかし感染が起きなかったり、逆にあまりにも強い反応が起きたりで、うまくいきませんでした。19世紀末には、まだ抗菌薬が発明されていません。生きた細菌を使うのは大変危険で、感染が原因で死ぬ患者も出たのです。そこでコーリー医師は、生きた細菌を使うのではなく、細菌を加熱・殺菌した抽出液を治療に使いました。これが「コーリーの毒」です。

※1 The spontaneous remission of cancer: Current insights and therapeutic significance
※2 Dr William Coley and tumour regression: a place in history or in the future

自然退縮についての症例報告は1800件以上

がんの標準医療で行われる治療といえば、放射線治療、抗がん剤治療が思い浮かぶでしょう。最初に放射線治療が行われたのは、レントゲンがX線を発見した直後の1895年ごろ。最初にマスタードガスを応用した抗がん剤治療が行われたのは、第2次世界大戦後の1946年ごろでした。一方、最初に「コーリーの毒」が使われたのは1893年ですから、放射線治療や抗がん剤治療よりも古い歴史があります。しかしながら、コーリー医師の治療法の効果は不安定で、用量・用法が定まらず、なぜ効くのかもよくわからなかったため、普及しませんでした。

点滴
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以降、自然退縮を利用した治療法の研究は下火になりましたが、自然退縮の症例報告は続いています。治療を受けている患者さんのがんが小さくなったり消えたりしても、自然退縮なのか、それとも治療の効果なのか区別がつきません。ですが、がんの治療を拒否したり、持病や高齢のために治療を差し控えていたりする患者さんもいます。そうした患者さんの中から自然退縮をした症例が報告されているのです。

がんになっても治療をしていない人の中から、さらに自然退縮が起きるのはとても珍しいことです。ただ、1年間に何十万人もの人ががんになるのですから、自然退縮する人の数はそれなりにいます。宝くじの当たる確率はとても低いですが、それでも全体で見れば高額当選する人もいるようなものです。がんの自然退縮の症例報告は、日本語の文献だけで1800件以上ありました。英語の文献を含めるともっと多くなります。