自衛隊員が「刑法犯」として裁かれる
交戦法規の欠損は刑法で埋め合わせられるという主張がよくなされる。
どういうことか。
例えば、自衛隊員が国連多国籍軍の平和維持活動に参加し、海外派遣時に現地で戦闘に巻き込まれ、誤射等により民間人の死亡・致傷事故を起こしたとする。
多国籍軍は受け入れ国政府によって治外法権を与えられている。日本以外の多国籍軍兵の場合は、その兵士の所属国の軍法によって裁かれる。
しかし、前述の通り日本では自衛隊員の行動が交戦法規違反か否かを裁く軍事法廷は存在しない。
特別裁判所を禁止する憲法76条2項の問題とみなす向きがあるが、本質的問題は憲法9条2項により軍法(交戦法規)が欠損していることだ。適用すべき軍法が存在できないのに、それを適用する軍事司法制度など設置できるはずがない。
そこで、刑法の国外犯規定(日本の刑事法上の犯罪を国外で実行した日本人を処罰する規定)を使うことが検討されている。
もっとも、刑法の国外犯には、殺人・傷害は含まれていても、過失致死傷のような過失罪は含まれない。そのため、自衛隊員による民間人誤射を裁くには、刑法の国外犯規定を過失も含むよう改正すればいいという主張が出てくる。
これは全く倒錯した議論だ。
刑法の国外犯規定を自衛隊の武器使用行為に適用可能とするなら、過失致死傷も含ませるか否かにかかわりなく、戦闘員に対する自衛隊の武力行使にまで刑法の殺人罪・傷害罪が適用されることになる。
国外犯は国内で同じことをしたら当然犯罪だから、日本を軍事侵攻する敵兵を日本の領域内で撃滅する自衛隊の行為にも刑法が適用されることになる。
しかし、刑法は、殺人・傷害・破壊行為を原則的に禁じているものだ。一方、軍隊の交戦法規というものは、交戦対象に対する殺人・傷害・破壊行為を原則的に許容している。
前編でも言ったように、正当防衛・緊急避難のような刑法の違法性阻却事由に当たらなくても敵兵を見つけたら撃滅していいし、そうすべきだ。
刑法によって交戦法規を代替するのは、法理上、無理筋の暴論だ。しかし、憲法9条により軍法体系が存在できない以上、法理的に無理筋の代替策が政治的に無理押しされる可能性がある。
自衛隊員は、日本の防衛のために武力行使したら、殺人罪や傷害罪で刑罰を科せられる政治的なリスクを負わされているのである。
こんな状況で、自衛隊に日本防衛のためにしっかり戦えといっても無理な話だ。
交戦法規による武力行使の法的免責保障がなく、刑法で処罰されるリスクすら負わされた自衛隊員は、武力行使しようにも怖くてできない。
自衛隊は「自縛状態」に置かれているのだ。
反撃すらできない状況でPTSDに
自衛隊員をこんな状態に置いたまま、戦闘に向かわせるのは、ある意味残酷ですらある。
イラクや南スーダンでの平和維持活動に自衛隊が派遣されたとき、自衛隊は「非戦闘地帯」にしかいないという政府の主張に反して、しばしば攻撃を受けていた。
その際、自衛隊員たちは身を守るための反撃すらできなかったことが明らかになっている。
少なからざる数の自衛隊員が帰国後、PTSDに苦しんだ。このうち2011年11月から18年2月までに自衛官が延べ3943人参加した南スーダンPKOでは、帰国後に2人が自殺し、1人が傷病で死亡した、との答弁書が閣議決定されている。
自衛隊は日本国民と国際社会にとって「危なすぎて使えない軍隊」であり、また、自衛隊員にとって「危なすぎて戦えない軍隊」となっている。
自衛隊をこうした危険な状況に追いやっている張本人が憲法9条なのだ。