立憲は共産やれいわとの野党共闘を見切って「自公の補完勢力」と揶揄してきた維新と手を結び、維新が防衛費増額や敵基地攻撃能力のある米国製ミサイル・トマホークの購入・配備に賛成するとそれに引きずられた。このままでは維新に同調して脱原発の旗も降ろしかねない。野党第1党の立憲と野党第2党の維新がそろって与党に接近し、少数政党を排除する全体主義の気配が高まっている。
共産も立憲にはしごを外されながら立憲との共闘維持に躍起だ。れいわの大石晃子衆院議員らが予算案採決で牛歩戦術をして厳重注意された際も、共産は立憲とともに賛成した。ガーシー問題でもれいわではなく立憲に同調し「議場での陳謝」に賛成した。軍国主義に反対する少数派として弾圧された共産党史に鑑みれば、もっと慎重に立ち回る局面ではなかったのか。
ガーシー氏を排除しても政治不信は止められない
共産党がガーシー氏への懲罰に賛成した背景には、20年を超える志位和夫体制を批判して党首公選制を記者会見で訴えた党員を除名した問題が絡んでいると私はみている。
志位委員長ら執行部は「言論弾圧」という世論の批判に猛然と反発し、党内秩序を乱す行為への除名を正当化した。その立場と整合性をとるためには「ガーシー氏は院内秩序を乱した」という自民・立憲の主張に同調するほかなかったのかもしれない。
社民党の福島瑞穂党首は記者会見で「除名は国会議員にとって死刑判決。身分の喪失は慎重に議論すべきだ」と発言したものの、その後の東京新聞の取材には「参院は慎重に手続きを重ねた末に陳謝を求めた。だが、議員としての職責を果たしていない。除名も不可避だ」と明言した。社民は立憲と共同会派を組んでおり、立憲の方針に抗えない苦悩がにじんでいる。
確かにNHK党やガーシー氏の言動には「懲罰やむなし」と感じさせる身勝手さがつきまとう。しかし言論弾圧や少数者排除は大多数からみて「致し方ない」という案件から始まり、徐々に広がっていくのは歴史が示すところだ。だからこそ戦後憲法は「多数の民意」から「少数者の権利」を守る姿勢を明確に掲げている。
国会議員を除名するにはよほどの慎重さを要すると私は考えている。ガーシー氏の除名が、国会が与党一色に染まる全体主義の幕開けにならないことを祈りたい。
ガーシー氏を参議議員に押し上げた原動力は、行き場を失った既成政党への批判票、政治不信である。彼を国会から取り除いても保たれるのは与野党の現職議員が安穏と過ごす「国会の秩序」だけだ。除名が実現したとて、彼への期待を生んだ政治不信は解消されず、行き場を失った既成政党への批判票が更なる政治不信を生み出すだけだろう。