2016年の熊本地震が転機になった
――段ボールベッドの有用性が認知されたのは、いつ頃でしょう。
ターニングポイントとなったのは、2016年の熊本地震ですね。なぜかと言えば、熊本地震ではじめて政府がプッシュ型の支援で3000台の段ボールベッドを入れたんですよ。またこの時期につくられた内閣府の避難所ガイドラインにはじめて段ボールベッドについて記載されました。
ちなみに2回も震度7の揺れにおそわれた益城町にはぼくが段ボールベッドの導入にかかわりました。
私は、1回目の前震の後すぐに熊本に入りました。そしたら2回目のいわゆる本震に遭遇してしまったのです。本震の発生後は、恐怖のあまり泊まっていたホテルから逃げ出して避難所に行ったのですが、30分ごとに大きな余震が来てとても寝れたもんじゃない。大きな地震が発生すると睡眠不足になることを身をもって体験したんです。
偶然だったのですが、神戸市の「人と防災未来センター」に勤務する知人も益城町の支援に入っていた。ご存じのように、益城町は壊滅的な被害を受けました。町役場の職員も被災していて、動けない。避難所運営や復旧活動を外部から入った支援者たちに任せざるをえなかった。
でもそれが逆によかった。「人と防災未来センター」の知人から段ボールベッド設置の相談があり、すぐに活動を開始しました。益城町の指定避難所をすべてまわり、段ボールベッドを設置しました。ただし1カ所だけ自治会長さんに断られてしまいました。とはいえ、5年前の東日本大震災と比べて、段ボールベッドの必要性が多くの人に知られるようになったと実感しました。
「被災自治体の職員が奔走」そんな美談は必要ない
20の災害、そしてのべ400以上の避難所を訪ねて、何度も目にしてきた光景があります。被災した自治体の職員が、疲弊したまま支援活動や避難所運営を続ける姿です。
いち早く変えなければならないと感じますが、災害が発生するたびに同じことが繰り返される。
――日本では被災自治体の職員が支援に奔走する姿が美談として語られますね。
そうなんです。もう美談は必要ありません。本来は職員も被災者で、支援を受けるべき側なんです。それなのに日本では、被災した職員が支援を行うでしょう。家が倒壊した人もいるかもしれないし、肉親が犠牲になった人もいるかもしれない。肉体的な疲労に加え、精神的にも疲れ果てている。そんな状況ではやれることにも限界があるし、支援も後手後手に回ってしまう。支援の遅れが、被害の拡大にもつながります。