段ボールメーカー「Jパックス」(本社:大阪・八尾)は、2011年の東日本大震災をきっかけに「段ボールベッド」を考案して普及活動をはじめた。これまで20の被災地に約2万3000台のベッドを業界団体と共に納入した実績がある。活動費用を考慮すると事業は赤字だが、この活動をやめるつもりはないという。Jパックスの水谷嘉浩社長に、ノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。

高齢者・女性を尻目に一目散に逃げ出した

――水谷さんは災害時の避難所で使用しやすい段ボールベッドの開発、生産を続けてきました。段ボールベッドに着目したきっかけを教えてください。

12年前の3月11日、当時は滅多にない東京出張で墨田区にいたんですよ。そのときに東日本大震災を経験しました。ビルの4階にいたぼくは、自分だけ荷物をまとめて一目散に逃げ出してしまって……。その後、年配の方や女性たちがぞろぞろとビルから出てきた。その光景を見て自己嫌悪に陥りました。「いまオレ、めちゃくちゃ恥ずかしいことをしたんちゃうか」と。

当時、40歳の自分は逃げ遅れた人をサポートすべき立場だったのではないか、何かできることがあったのではないかと後悔しました。泊めてもらった東京の知人の家でも、大阪に戻る翌日の新幹線の車内でも自分には何ができるのだろうとずっと考えていました。

インタビューに応じる水谷嘉浩社長。
撮影=山川徹
インタビューに応じる水谷嘉浩社長。

3月15日に知人に声をかけてもらって、4台のトラックに毛布や衛生用品などを積んで、物資が不足しているという茨城県高萩市に向かいました。福島第一原発が爆発した直後で、しかも静岡県を走っている途中に震度6の静岡県東部地震にも遭遇した。ぼくにとっては、命がけでした。でも、茨城に物資を届けた後、内心、あれだけ大きな被害の前で自分が行った支援は焼け石に水やないかと感じたんです。

「避難所に逃げれば安心」だと思っていた

そんなとき避難所で多くの被災者が低体温症で亡くなったというニュースを知りました。驚きました。だって、避難所って、避難者にとって安全な場所だと思っていましたから。せっかく津波から逃れた人が、寒さに凍えて命を落としている。理不尽な事実に衝撃を受けました。

同時に、ふと思ったんです。うちは、大阪の八尾市で、祖父の代から段ボールの製造を続けてきた中小企業です。段ボールを避難所での寒さ対策に利用できるのではないかと。

――当時、段ボールベッドをつくっていたメーカーはあったのですか?

厳密に言えば、ゼロではありませんが、ほとんど商品化されていませんでした。

――では、段ボールでベッドをつくろうという発想はどこから生まれたのでしょうか。

段ボールは温かいと言うのは皆さんもなんとなくご存知でしょう。段ボール屋のぼくでも、なんとなく、風も防げるし、温かいのだろうという漠然とした認識しかありませんでした。そこで試しにプロトタイプを手づくりしてみました。段ボールを切って糊で貼って土台をつくり、その上に大きめの段ボール板を一枚乗せる。