プーチン再登板の衝撃

ここまで振り返ってきたのはエリツィン政権からプーチン政権初期にかけての時代だが、それから10年以上が経ち、プーチン氏が首相としてメドベージェフ大統領と「双頭体制」を組んでいたとき、ロシアの将来にとっての大きな分岐点が訪れる。

2011年9月24日にモスクワで開かれた政権与党「統一ロシア」の党大会だ。党首を務めるプーチン首相がこの場で、12年3月の次期大統領選に立候補する考えを表明したのである。実権を握るプーチン氏に有力な対立候補は見あたらず、かつて00年5月から08年5月まで2期8年務めた大統領に返り咲くのは確実な情勢だった。

土産物屋に並ぶ、プーチン大統領がプリントされたマグカップ
写真=iStock.com/Cylonphoto
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世界の政治地図が大きく変わる予感…

12年にはロシアだけでなく、米国やフランスでも大統領選があり、中国でも最高指導者が交代する。プーチン氏の再登板で世界の政治地図が大きく変わる予感がした。このため、11年9月24日の党大会で「プーチン大統領復帰」の方針が決まれば大きく報じる必要があると考え、モスクワ支局員の関根和弘記者と予定原稿を3本用意して備えた。党大会が開かれるのは日本時間の夜であるため、決まればすぐに原稿を出さなければならないからだ。

復帰の方針が明らかになると、1面、総合面、国際面それぞれの原稿を手直しして送り、東京の編集局にこのニュースが持つ意味合いの重要性を説明した。降版前の大刷りでは1面3番手の扱いだったが、最終的には「プーチン氏、大統領復帰へ」の見出しで1面トップを飾った。東京の編集局は的確な価値判断を共有してくれたと思っている。

この1面本記の記事は「元情報機関員で『強いロシア』を掲げたプーチン氏には、統治手法や人権問題での批判が欧米に根強い」との表現で締めた。当時、将来への漠然とした不安を感じ、胸騒ぎがしたのを覚えている。米国やNATOへの強い恨みを忘れていないプーチン氏が、再び表舞台に出てくるのだ。2022年についに火を噴くウクライナ戦争は、このときに火種が宿ったように思えてならない。まさしく長期政権の弊害である。