「安定への兆し」が受動的なプーチン支持へ
ソ連崩壊後の90年代、ロシア男性の平均寿命は一時、50歳代にまで落ち込んだ。2000年代のプーチン政権以降、ロシアは保健や教育、住宅、農業を優先的国家プロジェクトに掲げ、国民生活の向上をめざしてきた。11年11月、当時のタチヤナ・ゴリコワ保健社会発展相は「07〜11年で出生数は10%伸び、死亡数は8%減った」と報告。「この8月に人口の自然増を記録した。ソ連崩壊後、初めてだ」と述べている。こうした「安定への兆し」が、「90年代の屈辱を味わいたくない」という意識を刺激し、受動的なプーチン支持へと動いていた。
身内を大切にするロシアの国民性
ロシア人にとってのこの「屈辱の90年代」に、まさにNATOの東方拡大が始まったのである。ソ連最後の最高指導者だったゴルバチョフ氏も、新生ロシア大統領のエリツィン氏も、NATO拡大に「ロシアが尊重されていない」という意識を持ち続けていた。敗者であることを自覚するよう強要されているとの意識が、ため込まれていったように見える。
通算8年にわたるロシアでの生活を通して、私にはロシアの人々の国民性のようなものを感じ取ることができた。他者(バーシ=あなたたち)には一見無愛想に見えるが、いったん身内(ナーシ=私たち)の領域に受け入れられると、精いっぱいの歓待をしてくれる。同時に、どんな苦しい境遇にあっても、人間関係は対等であるという矜持を感じた。「ウバジャーチ」される(尊敬される)ことに重い価値を置く国民性のように思えた。それを傷つけられたときに、思わぬリアクションに出るのだ。
「ロシアは頭では理解できない。信じるだけだ」とうたった詩人チュッチェフの詩を想起させるが、そうした特性を勘案した上で向き合っていく必要があると私は考えていた。「露助」というヘイトの言葉が物語るように、欧米から蔑視されているのではないかという被害者意識が、ロシアの対外行動に反映されていったのだと思う。
相手を知ることの重要性は、何もロシアに限ったことではないだろう。相手を知ろうとすることは、戦争の芽を摘むことにもなる。戦争は人間の心から起こるからである。