昨年8月、ウクライナ戦争が長期化するなか、ゴルバチョフ元ソ連大統領が亡くなった。朝日新聞元モスクワ支局長の副島英樹さんは「西側を熱狂させたゴルバチョフ氏と、西側から嫌悪されるプーチン氏とは、政治思想も政治スタイルも正反対だ。しかし、2人の意見が合致するのが、NATO東方拡大への批判である。ゴルバチョフ氏は、NATO拡大がドイツ統一交渉時の東西融和の精神に反すると考え、厳しく批判した。そこに西側の勝利者意識の傲慢さを見ていたのだ」という――。

※本稿は、副島英樹『ウクライナ戦争は問いかける NATO東方拡大・核・広島』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

ゴルバチョフ氏の「私の視点」

冷戦を終結させたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は、ウクライナ戦争が長期化するなか、2022年8月30日にこの世を去った。

21年11月30日付の朝日新聞オピニオン面に掲載されたゴルバチョフ氏の「私の視点」は、まさに彼の遺言のようになった。見出しは「ペレストロイカと世界 人間の安全保障へ、教訓を」。ソ連崩壊30年を前に、モスクワのゴルバチョフ財団から受け取った長文の論考を私が抄訳したものだ。

2022年9月3日、「円柱の間」に安置された、最後のCPSU中央委員会書記長で最後のソ連大統領であるミハイル・ゴルバチョフ
2022年9月3日、「円柱の間」に安置された、最後のCPSU中央委員会書記長で最後のソ連大統領であるミハイル・ゴルバチョフ(写真=SergioOren/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

ソ連でペレストロイカ(再建)という変化が起きてから35年以上が過ぎた。その目的は、人間を解放し、人間を自らの運命や自国の主人公にすることだった。数百年にわたって人々が独裁に従い、その後は全体主義国家に従ってきた過去との決別であり、将来への突破口だった。

同時に進めた新思考外交は、核戦争や環境破壊から人類を救うことを最優先した。我々は対立する二つの社会体制が争う視点から世界の発展を見ることを拒否した。世界政治の非軍事化を課題に据えた。

私と私の支持者は、分離主義者や《急進的民主主義者》による連邦解体の試みと、民主化プロセスをつぶしたい党指導部内の人々の行動と、同時に闘わなくてはならなかった。

苦しい状況下で、連邦を維持する連邦条約案を準備し、米ソ首脳会談で核軍縮条約も締結し、1991年7月末には危機回避に必要な条件がそろった。85年4月に始まった改革路線の模索と努力の表れだった。

致命的だった二つの打撃

しかし、二つの打撃が致命的だった。反動勢力が企てた91年8月の国家クーデターの試みと、わが国の歴史を断ち切った、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの共和国指導者による12月の密約である。連邦解体を阻止するチャンスはあったが、急進派と分離主義者、共産主義者がこの密約を支持した。核兵器の運命さえ宙に浮いたままで、密約の性急さと無責任さは米国側をも驚かせた。

私は今でも尋ねられる。連邦維持のために全力を尽くしたのかと。私は武力以外のあらゆる政治的権限や手段を使った。権力を維持するために武力行使するなら、それはもはやゴルバチョフではない。もしそうなっていたら、市民戦争もありえた。